【自分の傲慢さに気づく】手間賃から学ぶ感謝の心

本日車検の見積もりを取ってきて

そのついでに、
車の鍵の電池を鍵を変えてもらったのですが、
手間賃で550円かかるという経験をしました。

なるほど、
うまいことやられた。
商売とはこういうものなんだなと思いました。

これくらいなら自分でやれることじゃんと思って、
ぼったくられて気分になってしまいました

しかし、冷静になると
手間賃として支払う金額って
人間が自分の生きる時間を割いてくれた
という観点からすると
割と妥当な金額なのです。

そう思うと今までいろんな人が
ただでしてくれてきたことのありがたさに気づけます

ケチ心と傲慢さ

すごくケチくさい話になってしまいますが、
人が何か行動に起こすということは
タダではないのです。

自立して生活するまで
基本的に人に生かされてきました。

払う税金も少なければ、
車や住居を維持することも
親の援助を借りたりしてくることが多いと思います。

また、日常生活は
多くはギブアンドテイク。

同じ境遇で暮らす仲間と過ごすうちは
損得勘定なしに動けたり
思いやりの範疇で
多くの手助けを受けられたりします。

しかし、
一度そこから外に出ると
全ては経済活動のどこかに属していて
全てにお金が発生することに気づきます

そんな経験をすることで、
車で送迎してもらえることや
ご飯を作ってもらえること、
準備を手伝ってもらうこと
洗濯や掃除、何かの修理まで

全てが世の中では
タダではないのです

今まで、
タダで、受けていたサービスに
急にお金が発生すると
途端に損した気分になります。

冷静に考えてみれば
何かをしてもらえるのは自分の方なのに
なぜか、納得できない気分になってしまうのです。

非常に傲慢な思考回路だと思いませんか?

しかし、
こればかりは仕方なく
価値観が違ったのですから
気づけるはずもありません

だからこそ、
何か損した気分だなと思った時は
本当に自分が損しただけなのか

それとも、実際は妥当で
まっとうな対価を支払っているだけなのか
一度自分で考えてみる必要があるかもしれません

最後に

自立して
経済活動に身を投じてみることの重要性を
痛感しています。

守られているうちには気づけなかった
多くの当たり前があります。

違和感を感じた時はふと立ち止まり
本当に自分の価値観正しいのか
振り返ってみて欲しいです。

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