【平和主義】好き嫌いから考えるいじめを許さない心とは

自分を生きる




好き嫌いがあることは仕方がないことです

しかし
好き嫌いという価値観を矢面に立てて
白黒はっきりさせようとすること

特に、
嫌いな部分を前面に押し出すことは危険だと考えます。

好き嫌いをもつこと

好き嫌いがあることは仕方がないことです

ある匂いがたまらなく好きな人もいれば
たまらなく嫌いな人もいるはずです

ある食べ物が
好きで仕方がない人もいれば
見たくもないほど嫌いだと言う人もいます

これらは
生まれ育ってきた環境や
自分のルーツに関わる部分です。

好き嫌いを持つことの不安要素

好き嫌いを明確にして
それを絶対とし
排他的な空間を作ろうとする

これが一番危険な考え方です

例えば
親日⇔反日
憲法改正派と護憲派
などなど

今世の中で対立している
多くの事柄は
対立する価値観を排除しようとする思いが
前面に出てきてしまっている
ということが見えてきます

最後に

実際
“いじめ”という問題も
嫌いという感情が募って
我慢できなくなった
ということがトリガーで
嫌いなものを
とことん排除するために
全力を尽くした結果であるといえます

自分は嫌いだ
という価値観を
本気で伝えるための自己表現が
いじめの根本にあるとしたら
好きと嫌いをはっきりさせるような考え方が
そもそも危険なのだ
ということが見えてきます

好きなものを好きだ
と信じて推し進めることは
非常に大切なことですが
嫌いなものを嫌いだ
と宣言して
徹底的に排除するのは
良くないといえます

過激な行動に移らないようにするために
嫌いなものを徹底的に排除するような
考え方を避けるようにしていきたいところです

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