練習終わり間際に
「よし今日の練習の振り返りをしよう」
と思った時に
何も思い浮かばなかった時の
絶望感はとてつもないです
練習に費やした時間は
何かを犠牲にして費やした時間のはずです。
本当は、
別のことができた時間を使って
打ち込んだはずのそれで
何も得ることなかったと思ってしまったら、
その日に意味がなくなってしまいます。
そんなことを避けるために
“漠然と時間を過ごす”
これを避ける必要があります。
一球入魂の意識
熱血漫画で出てくるような
Tシャツの背中にデカデカ描かれるような
座右の銘トップ10入りするような
そんな言葉が結局ストレートに
確信を突いてくるわけです。
一球入魂とはよく言ったものです。
非常に納まりが良いです。
人類が玉で遊びだしたその時から
きっとこの言葉は形を変えて
そこにあったのだろうと思います。
この一球で明日の運勢を占うような
一球勝負で何かを賭けるような。
そんな勝負事に際した時に生まれたのでしょう。
何が言いたいかというと
人は一球に人生をかけるような
文字通り魂を込めるような
そんな強い気持ちを込めることもできれば
二度と思い出せないような
脳死でただ繰り返している中のただの一球。
そんな無価値な一瞬まで。
一つの同じ行動を切り取っても
ここまで濃淡がはっきりした意識の差で
向き合ってしまう生き物なのだ
ということです。
成果を残す意識
練習に時間を割く時点で
生半可な気持ちではないはずです。
何も成果なしで終わったその日に
ポジティブに向き合って
“今日も練習来たから偉いよ”
って肯定するのも何か違います。
それじゃ前進がないからです。
だからこそ、
意識して
今日はこれをできるようにする。
少なくとも感覚をつかめるようになって帰る
この意識を持ったないといけません。
当たり前ですが。
漠然とやって、
うまくいった数回を思い出して
思い馳せてもだめです。
意識したことが
意識してできたからこそ
成果として残るのです。
最後に
終わりよければすべてよしは
強いチームでは使わない言葉でしょう。
何時間も練習して
たった一球
たった一回
最後集中してやったそれが
うまくいって万歳なのだとしたら
もはや時間割く意味ないですよね。
時間を割くなら割くで
それに見合った時間を過ごしたい
だからこそ、
目的が大事なのです
意識して練習し
意識するべくして成果を残す
そこに価値が宿るのです。
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