【恥ずかしさと向き合う】それは”勇気がある”ということ

恥ずかしいという感情は、
できないものに挑戦するとき、

人の前に自分をさらけ出すとき、

できると思っていたものが
できなかったとき、

そんな時に生じる感情です。

よくよく考えてみると、
恥ずかしいという感情は

挑戦した人にだけ生じる感情

と言えないでしょうか。

向き合うには苦しい感情

恥ずかしいって感情は、
向き合うには
あまりに苦しいと思います。

鼓動は早く大きくなるし
変な汗はかくし
精神状態もどんどん悪くなる。
できればこんな感情味わいたくないです。

心底思います。

こんな思いをするくらいなら
やめてしまいたい。
そう思わせるきっかけに
なってしまいます。

怠惰に並んで、
恥辱のような感情ってのは
自分にブレーキかけるのにパワフルです。

次の一手を打つにも、
次に一歩進むにも、
足かせになる感情であると思います。

害のない感情

恥ずかしいという感情は、
“怠惰”と並ぶと上で書きました。

“怠惰”といえば7つの大罪に含まれる感情です。

傲慢、強欲、嫉妬、
憤怒、色欲、暴食、怠惰

恥辱というか、
恥ずかしさを含む感情は
ここにはないですね。

ここから言えるのは、

“恥ずかしさ”ってのは
自分も含めて人を傷つけることのない
感情だということです。

無害な感情だと言えます。

芽生えただけでまずは御の字

ただ僕は、
この感情を持つこと自体が
素晴らしいことだと思うんです。

だって、
恥ずかしさからは逃げればいいのだから。

そんな苦しい感情からは
離れればいいんです。

だけど、
モチベーションがどこにあるにせよ
恥ずかしい感情と向き合ってまで
その場に立っているわけです。

誇っていいと思います。

それに打ち勝って
行動できたら花マルだし、
その感情に負けて
パフォーマンス落ちてもそれはそれ。

できると信じて
その場に立ったことに意味が有る。
僕はそう思うことにします。

恥ずかしさに打ち勝つ

とはいえ、
負け続けるにはしんどい感情です。

無害ではあるものの、
メンタルをどんどん削っていきます。
自分の精神衛生上よくない。

どうしても打ち勝てない。
毎回恥ずかしい思いしてまで
続けるのは苦しいですから。

期間と回数決めて
挑戦するのもアリだと思います。
一度でも打ち勝てれば、
それは続ける価値がある。
向き合い続ける意味がある
と思いますから。

回数制限を決める

例えば100回とか
半年とか
一年とか決めて、
その間は
「今は挑戦期間だから」
と言い聞かせる。

道半ばでできるわけがないんですから。
その間だけは、自分との勝負に
振り切りましょう

本当にダメなら逃げる

挑戦し続けるために、
費やす努力とか、時間とか、
擦り減らしているメンタルとかも
有限ですから。

向いてないなら向いてないと
諦めるほうが潔いのかもしれない。

毎週死ぬ気で努力して、結果が出ない。
何度も惨めに思いながらも続けてきた。
それでも結果が出ない。
なんでなんだ、、、
って思ってるうちは続ける
意味はあると思います。

だってうまくいかない
理由がわかっていないんだから、
それを見つけない限りは
次に進めないですから。

とにかく続ければ、
どこかで見えてきます。
これが原因だ。
これを突き詰めればきっと出来るようになる。
挑戦に成功する。と。

その上で、
その真髄と向かい合って頑張る。
それでもできなければ、諦めもつきます。
いつまでも恥ずかしいって
感情揺さぶられる必要はないですから。

最後に

やってるのにできない。

やってるって言うことが恥ずかしい。

恥ずかしいからやめたくなる。

特に人に見られて、
かつ、
その人間から笑われるような環境では、
続けたくても続けられないと思います。

努力を続けるにあたって、
笑われない環境。
“できないことが恥ずかしい”
と、思わなくていい環境作り
ってめちゃ大事だなと思います。

人が育つ環境は、
失敗させられる環境だというのは
ここからきているのかもしれません。

新しく、挑戦する環境を作る時は
そこを意識するといいかもしれません。

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