【回顧】能力が発揮できない瞬間とは

自分を生きる




 

チーム力は
個人の能力を数倍に跳ね上げる力を持つ一方で
0にもマイナスにもし得る。

今日読み始めた本の冒頭に
書いてあった言葉です。

強いチームを作りたいと思い
読み始めた本ですが、
“個性を無力化することもある”
という冒頭の一節に引っかかりました。

思い返せば
いろいろな組織に属してきましたが
自分の役割を果たせたチームは
数えるほどしかありませんでした。

自分の能力が0になった瞬間、
ないしはマイナスに働いた瞬間を思い返し
整理してみました。

能力が発揮できない瞬間とは

能力がなかった時

興味本位で単身乗り込み
手ぶらで参加したイベントで
結成したチームでは
自分は全く機能しませんでした。

その理由は、
自分に割り振れる難易度の仕事が
なかったからです

当たり前の話ですよね。

 

踊れない人が
「踊りたい!」
とチームに訪れた時、

さすがに、
「明日から一緒にステージに立ちましょう」
にはならないのと同じです。

 

もし、明日すぐにステージに立ってもらうことになったとしたら
どれだけの人材がそのフォローにまわり
その人を馴染ませるために
どれだけの変更が必要になるものか

おそらく凄まじい労力が割かれることでしょう。

 

「やりたい」
という思いを持って参加するメンバーの存在は
ありがたいものです。

ただし、
その人にあった目標を定め
きっちりフォローできるチーム体制があって初めて
その人はチームの一員として
貢献できるようになります。

すなわち”+1”として、
やっと機能するということです。

しっかり貢献していきたいのであれば
チームの環境と自分の実力とを
十分に見比べる必要がありそうです。

キャラがかぶっていた時

必要とされているポジションはあるが
そこはすでに満席で、
自分が力を発揮するポジションが空いていない時
人は存在意義を見失い、
急速にモチベーションが降下していきます。

そして、
その相手が自分より微妙に優れていると
なおさらやる気がなくなります。

劣っていれば補えるし
優れていれば学べるのですが
微妙に優位に立たれていると
自尊心が傷つくばかりになってしまいます。

チームとしては
なるべくキャラや役割が
被らないように配置することで
存在意義を引き出せると考えます。

自分の声が届かなかった時

チームに明らかに足りないピースであった役割を
満たすべく声をあげたが、
小さい枠でパズルを囲み
もはやパズルは完成しているかのように振る舞い
せっかく上げた声が見当違いのように扱われた時
急速にモチベーションは降下します。

狭く居心地のいいメンバーで囲い込み
その輪を乱す存在は排除する。
そんなチームでは役割を果たすことはできません。

耳が痛くても、
多少面倒くさくても
課題には真摯に向き合うチームでなくてはいけません。

そうでないのであれば
徒労に終わるので、
能力を発揮できないので
足早に去るべきかもしれません。

最後に

僕自身が原因で
僕自身が迷子になる経験はたくさんありました。

それこそ、
募集要項外の存在で足を踏み入れた場では
尚更顕著でした。

そうだとしても、
参加させたのであれば
すくい上げる仕組みはあるべきですし
それが組織としてあるべき姿だとも思うのです。

 

自分が上位に立ち
チームを作り上げる場合は
個人が居場所を見つけられるように
キャラと役割の調整を意識していきたいな
と思いました。

その考えが”正しい”のか”正しくない”のか、
その答え合わせは
実際に、本を読み進めながらしていきたいです。

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