【忙しさの正体】お願い事に気をつけるべき理由

自分を生きる




 

心を亡くすと書いて“忙”と書きます

文字通り
自分の心が関与する隙間が
無くなった時に
忙しさを感じるのです

忙しさの正体とは

それは”依頼事項”です。

“依頼事項”とは
平たく言えば
人からの”お願い事”のことです

人から
「お願いします」
と依頼されれば
その期待に応えるために
自分のキャパシティのうち
一番良く使う場所を
それに明け渡してしまいます。

そこには本来、
自分がやりたいことや
大事にしていることが
鎮座しているので、
その人に一度
どいてもらう必要が出てきます

そう考えると
自分の中の大事な事の優先順位を
平気で下げてしまうという事ですから
自分の”心”や”気持ち”が
置いてけぼりになっている事に気付けます。

お願い事に気をつけるべき理由

厳しい納期があるから

お願い事を聞いた瞬間から
“人からの評価”の審査対象になってしまいます。

人に
「お願いします」
と言われて
「わかりました」
と答えたら
そこには約束が生まれます。

“約束を守れるか守れないか”

それを強く問われる事になります

 

ですから、
やれると言って受けてしまった事は
是が非でもやり切らないと
これからの信頼問題に関わるので
時間を余分に割いてでも
やり切らなければいけないのです

優先順位を奪われるから

自分が今まで一番大切にしていた時間を
奪われる可能性があります。

例えば
空いた時間に毎日地道に進めていたものに
途端に手が回らなくなってしまったり

毎日家に早く帰って
好きなことに時間を使っていたのに
居残りが当たり前になってきたり

自分が生み出していた時間を
後から来た”お願い事”のために
使わなければいけなくなります

達成感はあまりないから

奪われた時間の分だけ
できないことは沢山生まれます

今までできていたことが
できなくなったということですから

そんな状況だと

自分が今までできていたのに
できなくなってしまったもの

にばかり目がいってしまいます。

そうなってしまうと
いくら人のために頑張っても
その喪失感は無くならないので
どこか満たされない気持ちに
なってしまいます

最後に

対象法は
自分のキャパの範囲でしか
頼みを受け付けないことです。

そうすることで
自分のキャパは守り抜けます。

 

ただし、
調整できればの話に限られている
というのも事実です

“お願い事に対応すること”が
仕事だという人にとっては
それが日常ですので、
そもそも自分のための時間を生み出す
という概念がないとも考えられます。

 

ですから、
そういう類の仕事を担当している人は
どうしても毎日忙殺されてしまう可能性が高く
それによって自分のやりたいことが
できなくなってしまうのです

心が殺されていることにも気付けず
ゾンビのような状態の人もおそらくいるはずです

 

自分の身を守れるのは自分だけです。
自分の心を守れるのも自分だけです。

無理していないか
今いる環境を今一度振り返り
自分に優しい対応を取ってあげたいです

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