【反面教師】失言ので失うものとは

日本で生きる




失言は信頼を失うことにつながり、
今まで発言してきた全ての発言の意味が
裏返って聞こえてしまいます。

小泉進次郎環境相の
発言から学ぶことが多そうです。

“46%削減”について

“46%削減”とは

小泉進次郎環境相が表明した
“温室効果ガス46%削減”
が物議を醸しています。

その発端は
数字の根拠を聞かれた時に
「おぼろげなく浮かんできたんです
46という数字が」
と答えたことにあります。

いろんな推測を呼び
様々な声が上がっているわけです。
→参考はこちら

“46%削減”の何がいけないのか?

46%削減の”46″が”浮かんできた”
という発言が
いろんな想像を生み
物議を醸しています。

その数字にどんな思惑があるか。
も、もちろん重要な論点ですが、
それらの憶測は置いておいて
問題の本質は
「政治家が掲げた目標値に根拠がなかった」
ということです。

これはありえないことです。

例えで言うなら、
“20時以降の飲食店営業自粛要請”

“20時以降”にも
“飲食店”を対象にすることにも
“営業を自粛”させることにも

特に意味はなくて
なんとなく効果がありそうだから。
くらいのニュアンスで決めているようなものです。

多くの事業者を悩ませる施策が
“思いつき”だったとしたら
どう思いますか?

これは許せないですよね。

もし四度目の緊急事態宣言が出されたとして
その効果を信じられますか?
まともに守ろうと思えますか?

思えないでよね?
国民は狼狽するし、
全ての施策に対して疑心暗鬼になります。

そんなこと誰も言っていないのに、
憶測が憶測を呼び
様々な推論が牙を向いてくる。
これが失言の恐ろしさです。

この46の数字に込められた真意が何で
それが今後どのような展開を見せるのかは
また別の問題です。

このような曖昧な目標設定を
平気で口にすることが問題で
それが失言を生むのです。

失言で失うものとは

1つの失言が
支援者の信頼を踏みにじり
自分自身の発言の確度を下げます。

どんな仕事であろうが
信じられない人と仕事をしたくないし、
信じられない人に任せようとは思えません。

失言は人にも自分自身にも
大きく損害をもたらします

言葉の信憑性を失う

上述した通りですが、
あなたが発言する全てが
信じられなくなる事態を引き起こします。

“それ本当?”
が常に付き纏います。

狼少年の話のようなものですよね。

本当に信じて欲しい時に
信じてもらえなくなる。
可能性を孕むのです。

培ってきた信頼を失う

あなたが地道に積み上げてきた実績があったとします。

今まで同様の対応をするとした時に
『だいたい今までと同じだし、
みんなもきっと分かってるから、
手を抜いていいや。』
そんな考えのもと対応をすると、
大概見破られます
そして、
今までも全部そうだったんじゃないのか
と掘り返される羽目になります。

頑張ってきた所に
泥を塗ることになりかねないのです。

失言しない方法

失言しないためには
聞き手を尊重して
ちゃんと丁寧に準備する必要があります。

“丁寧に準備する”と

誰もが同じ解釈ができるように
発信する内容を見直すこと

だと言えます。
それだけだと思います。

全員に同じ解釈をしてもらうためには
背景を正しく理解してもらうこと
“どうありたいか”という目標イメージを
共有すること。
同じ立場から同じ目標を目指すという前提のもとで
手段を提示すること。

それが大事なのです。

例えば、
”46%削減の根拠”であれば
現状の気象問題を説明し
CO2削減に対するあるべき姿を説明し
だからこそ今このタイミングで
“現実的に目指す数字が46%なのだ”
そう言うべきだったと思います。

誤解が誤解を生む発言、
十人十色の解釈を生む発言。
これらを控える必要があるのです。

最後に

政治家ともなれば
1億人以上の人間が
その一言に耳を傾けるわけですから
一人一人に敬意を払った言葉が
必要になるわけです。

ですから、
“思いつきです。”
は、あまりに舐めすぎではないでしょうか。

小泉進次郎ほどの
新進気鋭の好感度を持てる議員でさえ
このような事態を引き起こすわけですから
誰もが失言リスクと隣り合わせだと言えます。

この機会に自分自身も
襟を正していきたいなと思いました。

 

ここからは愚痴になります笑

全ての政治政策が
“思いつきじゃないよね?”
“意味があることだよね?”
と、今一度疑いの目を向けて
自分の目で真意を確認する必要がある
と思いました。

その適当な目標設定で
振り回される当事者がいることを
忘れないでもらいたいです。

“目標は高めに設定しよう。”

じゃないのです。
その1%がどれだけの苦労を必要とするのか
それを理解して口にするべきなのです。

コロナ対策もそう。
厳しめに、
高めに、
とりあえず、
そんな曖昧な考え方だから
一向に改善しないのではないでしょうか?

“どこ”が”どれだけ”問題なのか
それを明らかにしてからが
スタートなのではないでしょうか?

違和感が残るばかりです。

皆さんも是非この機会に
色々考えてみてはいかがでしょうか?
僕としてはオリンピックについて
特に真剣に考えるべきだと思います。
こちらを参考に読んでいただきたいです。

自分の意見を持たないと
大事なものを気付かずして
失っていくことになります。
是非ご一読を。

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