【想いはいくつも心一つ】目線を合わせることの難しさ

日本で生きる




“想いはいくつも 心一つ”

所属していたチームで
大切にしていたフレーズの一つです。

 

それぞれ生活する環境も違えば
育ってきた境遇も違う
楽しさを見出すポイントも違う
みんながみんな気があう仲間かと言われれば
そういう訳でもない。

そんな十人十色のメンバーで
構成されたチームだったからこそ

それぞれを認め合うことがまず大切だ。

その上で、
このチームが掲げる目標は1つ
目指す場所は1つ
目線だけは揃えて活動をする

そのような気持ちで
活動することができることが
このチームの強さだ

 

そんな気持ちが込められていたフレーズです。

 

それを体現することが
どれほど難しい事なのか
この時代を生きる事で気づかされました。

 

今僕たち共通の課題は
コロナに克服して
正常な日常を取り戻すことだと思います。

ただし、
これを目標として掲げて
一致団結することが難しいのです。

目線を合わせる事の難しさ

共通の目標を持つ事が難しい

チームとして
本気で到達したい目標があるのであれば
その理念の浸透が必須要件です。

それは個人目標を包括している必要があります。

個人目標を目指していれば
勝手にその目標に準ずるような。
逆に、全体目標を追っていれば
おのずと自分の目的も満たされているような
そんな関係性であることが望ましいです。

例えば会社であれば
売り上げ・利益率が手取りに効くので
会社の成長方針がそのまま
自分のモチベーションになります。
その逆も然りで、
モチベーション高く仕事をすることは
そのまま売り上げに直結します。

同様に、
チーム活動であれば
優勝するとか記録を残すとか
活動に根ざした目標ですので
意識がしやすいです。

 

ただ
国や地域という目線になると
急に難しくなります。
これがコロナ対策の難しさです。

国の対策は
個人のモチベーションにならないし
個人の施策は個人差がありすぎて
目に見えて効果が出ないからです。

考え方の違いを理解することが難しい

“危機意識に差異があること”
“失った日常の大きさに差異があること”
これらが
コロナ対策のモチベーションに
差が生まれる根源だと思います。

危ないと思う人と
問題無いと思う人では
どうしたって行動の質が変わってきます。

もともと密になる趣味を持たない人や
事業的にも影響の少ない人にとっては
制約はありながらも影響度は小さいので
行動制限する意義を見出しづらいのです

意識対策が必要

コロナというのは
世界中の人間一人一人にとっての脅威です。

しかし、
“それを撲滅しなくてはいけない”
と心の底から考えている人は
どれくらいいるのでしょうか

“自分が かからなければOK”
と考えている人ばかりだと思うので
ほとんどいないと思います。

だからこそ、
何かしらの方法で
強制的に右を向かせるくらいの
強い意識改革が必要なのです。

とはいえ、どうすればいいのか

僕が考える方法は2つあります。

世間体に結びつける

社会人にとって脅威なのは
コロナによって害される健康というよりは
それに付随する信頼度の低下にあります。

自分がコロナにかかると
濃厚接触者と認定される身の回りの人に
迷惑をかけることになるし、
どこで拾ってきたのか?
と、自己管理不足を
問いただされることになりますから。

事実、
一定数の人は
健康を害することよりも
世間体への影響を危惧して
コロナ対策を実施しています

実際に思慮の足らない厚生労働省の人間が
飲み会を開催して罰則を受けている人もいます。
このようにして失った信頼を
取り戻すのは難しいです。

この事実を
全ての人間が意識すれば
もうすこし動き方が
慎重になるのではないでしょうか。

 

実際のところ、
そんな問題を起こすような人は
学校も会社も行政機関も
抱えたくないはずですから。

極論を言えば
日々の活動記録を
選考基準に盛り込んでしまえば良いのでは?
と思います。

支援者を募る

前述したように
コロナの影響を深刻に受けている人と
あまり影響がない人とで
大きな溝があるのが実態です。

この自粛の延長戦での生活を
甘んじて受け入れよう。

そんなことを考えている人も
いるかもしれません。

一方で、
“あの時間でしか感じられなかった感動があった”
“感染拡大前の日常を取り戻したい”
そう考えている人もいるはずです

この溝を埋めるのは
圧倒的熱量を持つ人だけです。

『こんなに大きなものを失ったのだ!』

そうやって強く主張する人が必要です
いつだって熱量は伝染します。

“生きがいを取り戻したい人”が
先陣切って大きな声をあげて
周りを巻き込んで
近くから意識を変えていく

そうしていく必要があるのではないでしょうか?

最後に

言うだけで無責任な奴だ
という認識はあります。

それでも僕が声をあげるのも
1つのうねりになることを
期待しているからです。

僕なんかよりも
ずっと影響力があって
ずっと行動力がある人に
少しでもきっかけが与えられれば
世界はぐっと変わると思っているからです

 

僕が根ざしていた、
「よさこい」
というコミュニティは
圧倒的な練習量で
クオリティの高い群舞を生み出し
感動を与える人の集まりでした
←詳細はこちら

人を集めて練習し
人を集めて披露する。

そういう文化でしたから
この時代では適応できません。

 

今は外野にいますから
心配することしかできませんが
生きがいを与えてくれた文化が廃れていくのを
見ているのはどこか寂しいです。

きっと他にも、
何か大切なものを失いつつある文化があるはずで
そういった場所にいる当事者
一人一人が立ち上がって

“現状維持ではダメだ”と
主張しなくてはいけないのでは?
と思うのです。

全力尽くして現状維持、
もしかしたら悪化傾向にあるこのご時世を
ひっくり返すだけのエネルギーが
この世界には必要だと思います。

何かのきっかけになれば。
と思いました。

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