【最後まで手を緩めない】役割を全うするということ

なにか与えられた仕事について、
すごく面倒見てくれる人がいたり、

専門的な人がいて
おんぶに抱っこで
任せてしまいたくなる人がいたり、

そんなに言うならお前がやれよ
って思うくらい
指摘してくる人がいたり、

周りの人が強く関わってくれるほど、
自分の役割への責任感が
薄くなってしまう
傾向にある気がします。

そんなときに、
やはり大切なのが、
与えられた役割を
全うすることだと思います。

役割とは

“割り当てられた役回り”
のことを言います。

“役”といえば
舞台の”役”を
思い浮かべると
わかりやすいですよね。

必要なだけの
登場人物がいて

裏方がいる。

その枠が欠けてしまうと、
大変困るものです。

代役を立てるということ

もし、役割を放棄したとします。
そうなると、
代役を立てて埋めないと
その舞台は
完成しなくなってしまいます。

確かに、
変わりはいるかもしれません。
自分がいなくても、
誰かがやってくれれば
良いのかもしれません。

でも、
自分が開けた穴には
必ず誰かが補填されるわけで、
“あなたがそこにいたこと”には
間違いなく、
“大きな意味があった”
ということになりませんか?

 

責任感が薄れていく原因

せっかく与えられた役割を
投げ出してしまいたくなる。

もしくは、熱を持ってやれなくなる

こんなことは、
いろんなことを
トリガーにして
往々にして起こることだと思います。

そして、
なぜ責任感が薄れていくのか。

これは、
自分というよりも
周りの人間に起因する気がします。

存在感が小さく感じる

非常にできる上司がいて、
頼りになる先輩がいて、

任せておけば
どんどん進んで行くような気になる。

そんな人が周りにいると
「あれ、自分必要か?」
と思い始めてしまうわけです。

居心地のいい場所を見つける

頼り甲斐のある人がいたとして、
気づいてしまうことがあります。

「これってこの人たちを上手に使えば
任せておけばいいんじゃない?」

ってことです。

自分が楽しても
問題ないと感じてしまったりします。

責任を分割したくなる

ああだこうだ言ってくる
口うるさい先輩上司は
どこにでもいると思います。

指摘されて、
修正されていくうちに
「そんなに言うなら自分でやれよ」
とか、

「あなたが言ったからやるんだから、
責任取ってくれよ」
とか、

自分が
全部の責任を負うことが
バカらしく感じてしまうこともあります。

役割を任されるということ

頼れる人が多いと
逆に責任感が薄れてしまう
ということです。

しかし、
認識しておかなければいけないことがあります。

それは、
周りの人間は
「無責任だ」
ということです。

何かを、
補助するところまでが
自分の役割であると
線を引いています。

自分が
完成させてやるなんて
微塵も思ってません。

そんな人に
責任転嫁していいのでしょうか?

自分の役割に対して、
責任を負わなくて
いい領域なんて
あるはずないことを
今一度認識したいです。

あなただけが
責任を持って
全うすることを
約束しているという
事実があります。

存在感に困惑しても、
意味があるから
役回りがあるのです。

1つの役を
二人で演じることなんて
ありえないのです。

その認識のもと
役割を再確認してみたいです。

最後に

僕自身上司に釘を刺されたばかりです。

「やるっていうことは、
ここまで責任もって
やるってことだからね」

それから、
協力を仰いでいる部署は
あくまでアドバイザーで
動いたり決定したり
するのはあくまで
自分自身だということを
痛感したりしています。

なんにせよ、
責任を持つことは中途半端なことではなくて、
覚悟が必要なことなんだと。

大きな失敗を起こす前に
小さいものから
このマインド醸成に
取り組んでいきたいなと思います。

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