【より良い作品のために】グロい表現を許したい理由

本と生きる




 

最近の漫画は

エロくてグロけりゃいい

そんな傾向がある気がします

ですから、
「またこういう話ですか」
と呆れがちになることも
少なくないです。

 

一方で、
「これを表現するためにグロかったのか」
と感心する漫画もあります。

そういった漫画は
感動をあたえてくれるほどに
ドラマ性とメッセージ性が
強いものです。

この経験から
グロさも表現の一種であり
何かを伝える手段だったのだということ

そして、
グロさに対して
偏見を持っていた事実に気づきました。

グロさを許容したい理由

ただグロければいいでしょう

という漫画と

リアルを追求したら
グロくなってしまった
という漫画は
根本的に違います。

グロければいい漫画は
読んだ後に何も残りません

リアルを求めたグロさには
ドラマがあります。
それは許容されるべきだと思いました。

その作品で伝えたいメッセージや
そこから得られる教訓などを
強く発信するためには
時として仕方がないものなのです

感情移入のために必要だから

経済的や体格的に
弱いものを対象にした
凄惨な出来事が描かれることが
よくあります。

その目的は
登場人物と同等の
やるせない気持ちを感じさせ
強く感情移入してもらうことに
あると思います。

特に、
登場人物の
成り立ちはそうでなければいけないのです。

例えば鬼滅の刃は正にそうです

主人公の生い立ちは
当時の主人公の無力さを
強く象徴することができ
物語の中の正義を
打ち立てることができるので
読者に対して
「敵はこいつだ」と、
ぶれない共通認識を作り出すことができます。

一方で、
登場する敵キャラにも
同レベルの不条理な過去があったと
描かれることがあります。

そうすると、
物語の中で
正義とは何か
で葛藤する主人公と同じように
読者も思い悩むことができます。

その度合いは
お互いの境遇が同じように
理不尽で悲しいほど
拮抗します。

そう考えると
より深く物語にのめり込み
感情移入してもらうためにも
グロさは必要だと言えそうです

背景をはっきりさせるために必要だから

村のしきたりや敵の素性を
詳細に説明するために
残酷な表現を使うことがあります

なぜ容赦なく残酷なことができるのか

それは正に、
価値観が歪んでいるからです

その価値観の歪みを表現するためには
人が不愉快さを感じるほどの
残虐さが必要になるのです

そうすることで
そんな世界線に置いても
強く生きる登場人物が
一層輝き増すのです。

最後に

マッドな言い方をすれば
より生を輝かせるために
対照的な部分を極端に描くことは
作品を印象的にするためには
欠かせないものなのだ
と言えそうです。

でもそれは
見方を変えればどの物語でも
あることです。

スポーツ漫画で
選手生命が終わる怪我をする描写があります
人の夢を潰す描写で
非常に辛い場面ですから
命を扱うのと同様に残忍だと言えます。

すなわち、
表現する世界が違うから
時としてグロテスクに映るのだ
と言えるのです。

「グロければいいと思ってる類の漫画か」

というレッテルを張るには
時期尚早である場合が多いです。

寛容な心でいろんな作品を楽しみたいものです

 

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