【裏方にも光を】エンドロールの深みを知る

日本で生きる




脚光を浴びるのは
表で活躍する人々ですが、
その裏側では
数え切れない数の人々が
それぞれ活躍しています

いい映画を見た後に
エンドロールをしみじみ眺めることで
その事実を噛み締めることができます。

エンドロールの深みを知る

映画のエンドロールを
ちゃんと見たことがありますか?

恥ずかしながら
27になったこの瞬間まで
ちゃんと中身を注視したことは
ありませんでした。

そこには、
その映画の制作に
携わった会社と
そこで活躍する
何百人という人の名前が
記されています

映画を作るためには
いろんな分野の
いろんな業種の協力が必要で

そこで働く
何百何千という人の力を借りて
形になっている事に気付けます

普段は脚光を浴びない
その人たちに
一瞬でも光を当てる存在が
“エンドロール”なのです。

多くの役割が存在する

アニメーション映画であれば
原作があって
脚本があって
監督がいて
声優がいて
作画がいて、、

とにかくたくさんの
役割の人がいることがわかります。

個人的に面白いと思ったのは
作画一つとっても
たくさんの会社が関わっている
ということです。

ここから思ったことは2つあって

1つ目は、2時間弱の映画を作るためには
それだけ多くの作画担当者が
いなければ到底やり切れないんだ
ということ。

2つ目は、
そういう専門的な仕事は
一定数の需要があって、
かなり多くの雇用を生み出していたんだ
ということです。

特に、
絵に関わる仕事というのは
かなり狭き門で
仕事にできる人なんて
そんなにいないんだろうな
そんな風に思っていましたが
そうではなさそうです。

実態を知らないので
憶測になりますが、
一つの大きなプロジェクトの裏では
たくさんの役割を果たす
多くの人がいて
その数だけ仕事があって
雇用があるんだということを
感じました。

裏方に光を当てる存在

エンドロールに
記される名前は
ものの数秒間で
スクリーンを駆け上がります

視界に入っても
記憶に残ることなんて
ほとんどないと思いますが
それでも貴重な時間なんだろうな
と想像できます

もし自分の名前が
エンドロールにのるとしたら
その映画を多くの人に自慢したくなるし
おそらく
初めて映画館で見る瞬間には
涙せずにはいられないんだろうな
そう思います。

ここから強く感じたことは
名前を記すということは
非常に重要なことだ。
ということです。

そこにいたこと
協力していたこと

それが残っていることに
意味があるのです。

別に、
ひけらかしたい訳ではないにせよ
そうやって残してもらえたら嬉しいですし
逆になかったら悲しいです。

日常の小さいことでも
〇〇さんに聞いたことだが、、、
とか
なるべくいい事には
名前を添えてあげる配慮って
すごく大事なのではないか
そんなふうに感じたのです

最後に

僕自身、
自動車部品の開発設計を生業とする
サラリーマンで、
仮に車が世に出たとしても
僕の名前が世に出ることは
まあ、ないんだろうな
そんな風に思ってます。

でも、僕が携る部品一つとっても
開発から拡販に至るまで
本当にたくさんの人が関わっています

その数、
万はくだらないんじゃないでしょうか

そう思えば、
車一台なら尚更です。

建物や、
手に取っている端末も
多くの人が携わって
今ここにあるわけです。

この事実を意識できれば
モノやコトの一つ一つに
感謝できそうですし
大事に扱えそうだな
と、思いませんか?

 

僕個人の話ですが
エンドロールを
無意識に見るのはやめよう
と思いました。

脚光を浴びられない
多くの裏方を代表して
エンドロールで日の目をみる
クリエイター達の名前を見るたたびに
自分の存在も
この映画と同様に
少なくとも何かの一部になって、
多くの人を感動させているはずだ。
そんなことを
思わせてくれる気がするからです。

脚光を浴びなくても
裏方で頑張っている
そんな同志が
世界にはたくさんいること

エンドロールは
そんなことを教えてくれました。

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