【一般解などない】痛みを知った人への向き合い方

「いや、君は悪くないよ」
と言われると
期待されてないような
そんな虚しさに襲われます

上手な褒め方はまず
共感することだと言います

そうは言っても
誰彼構わずみんなに通用するはずないと
僕は思います

共感されて慰められると
安心してしまって

その瞬間の悔しさとか絶望とか
和らいでしまいますから

正直人によるってのが
答えなんでしょう。

一概になんでも正解を求めて
一般解に当てはめて励ましてみてもと思うのです。

そもそも、
“励ます”って
おこがましい気がします

上から目線で
どの口が言うって感じです。
←捻くれすぎですかね?

僕が思うに、
痛みを知った人に
かけるべき言葉なんてものはなくて

強いて言うなら
“話を聞いてあげる”のがベストアンサーだと
思うわけです。

痛みを知った人への向き合い方

むやみに励まさない

励ますということは
“痛み止め”のようなものです

痛み止めは
本当は怪我しているのに
それを忘れさせるものです。

体は黄色信号出してるのに
もっと頑張れって言うわけです。

励ますと言う行為は
それに近いのかなって思います

痛いことを忘れさせる行為ですから
その結果何が得られますか。
「また前を向いて頑張れます」
ですか?

つまりそういうことです。
励ますと言う行為の先には
もう一度立ち上がらせたい
と言う願望しかないのです

立ち上がるか立ち上がらないかは
相手が決めることです

やれることは話を聞くことだけ

痛みを知った人は

悲しさか、悔しさか、虚しさか、
無力さか、何か
とにかく負の感情を抱いています

負の感情を持っている時は
基本的に何かモヤモヤして
気が晴れないものです

それを無理やり
納める方法をとるのではなく
自分で気づけるように
そばで話を聞くことが
唯一できることなのでは
と思うのです。

話を聞いてあげたいという
モチベーションは
「何とかしてあげたい」
と言う気持ちからくると思います。

「何とかしてあげたい」というのは
別に自分の思ったようにしたい
ということではなく
ただ力になりたいなっていう
想いからくるものだと思っています。

自分の意思は二の次です。

どうしてもかけたい言葉があるのなら
発せればいい。

甘くて優しい言葉、
共感して寄り添ってる感を出す言葉

そんな言葉よりも
もっと愛のある言葉になると思います。

最後に

完全に持論を展開しましたし
誰もお前に話聞いて欲しいとか思ってねぇよ
とか思われるかもしれませんが
僕は僕の信念でそうやってきました。

話している側は
自分の言葉に直しているうちに
思考が整理できるものです

人にとやかく言われるものではなくてです

それに、聞く側も
聞いているうちに感情移入できます

自分ごとと捉えられれば
上っ面の言葉を並べる気も無くなります
相手に寄り添うといえば聞こえはいいですが

それだけが唯一
ニュートラルな関係を
築く術とも言えるのです。

その悩みはその人だけのもの

“なんとかしてあげよう”なんておこがましい
その人だけの経験をこそが大事

僕はそう思います。

 

 

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

 

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コメント

  1. […] 自分が上に立つことがあれば 対話をできる余裕と 気遣いができるようにしたいと思います。 →声のかけ方について考えてみた話 […]

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