【世界で通用する人間に】共通言語を増やせ!

“世界で通用する人間”
というのは、
“どこでも戦える人間”
と言い換えられると思います。

井の中の蛙という言葉があります。

その人の能力が
小さい括りの中でしか
発揮されないってことは
大いにありえます。

だからこそ、
丸裸でどこかに突撃したとしても、
“自分はこれができる”
と言い切ることができるものを
一つでも多く持っておく必要が
あるのではないのでしょうか。

そしてそれが
”ここで通用する”と、
発揮できる場所を
同時に理解しておくことも大切です。

僕はそれをまとめて
”共通言語”
と呼んでいます。

“共通言語”を
いくつ持っているかということが、
その人の能力を語る尺度になると思います。

共通言語とは

共通言語とは、
世界で多くの人に使われている
言語のことを指します。

共通言語と聞けば、
英語と考える人が多いと思いますが、
必ずしもそうではないと思います。

それは、
専門用語のようなものかもしれないし、スキルや、その人の持つ魅力的な部分かもしれない。

なんにせよ、
“これがあればここで通用する。”

と言い切れる能力を
“共通言語”と呼ばせてもらいます。

必ずしも言語だけではないということ

世界の共通言語は英語ではなくて笑顔だと思う

と、高橋優も言います。

身振り手振りも、
笑うという概念も、
怒りという概念も、
人間であれば共有できます。

極端な話、
言葉である必要は全くないということです。

専門用語だという考え方

学校で新しい単元の勉強を
始めた頃のことを思い出してください。

数学で、
九九を覚えた時、
分数を覚えた時、
因数分解を覚えた時、
微分・積分を覚えた時、

まず、それが何なのか覚えますよね。

その単元特有の
約束事の用語を覚えました。

用語を覚えて初めて、
先生の言っていることがわかります

練習問題が求めていることも
わかりました。

これは、勉強だけでなくて、
仕事でもそうで、

新しい環境に入って、
その場特有の言語やルールを覚えます。

そうすることで、
初めて会社の人間として
他の社員と仕事の話ができるようになります。

スキルだと言う考え方

サッカーファンが世界中にいて、
別に言葉が喋れなくても
同じように熱狂できます。

言葉の意味がわからなくても
世界的に有名な曲は
世界中の誰もを
熱狂させられます。

世界駅な芸術は、
いつまでも時代まで
越えて語り継がれます。

メイドインジャパンってだけで
安心感を与えることができます。

数式や物理法則も
筆談でなんとなく伝わります。

必ずしも、言葉である必要はないのです。

サッカーボールひとつ、
ダンススキルで身ひとつで
世界を回ることもできます。

何か趣味や特技を磨くことも
“共通言語”を得ることに
つながると僕は思います。

魅力だと言う考え方

美人は誰が見ても美人です。
ダンディな人は誰が見てもダンディです。

H&Mの広告の外人が
何かかっこいいように

何もしなくても
世界に影響を与えられる
特別な才能ってやつも

やはり、“共通言語”のひとつ
”美”のようなものに含まれるのかな。
なんてことも思います。

言語という考え方

共通言語を”読む”

言語の場合は文字を見て
理解することが”読む”ということなので
正しくは”見る”なのかもしれません。

共通言語を習得していれば、
見ただけでそれが何かわかります。

作品を見て、
作者の意図を汲み取ることができたり、

試合を見て
戦術や戦況を把握できたり、

図面を見て
設計者の意図をくみ取ったり、

そういうことを指します。

共通言語を”書く”

“読む”の反対です。

表現する方になります。
見える形に起こすことです。

自分が持っているスキルを使って
アウトプットするんです。

作品を作ったり、

試合で能力を発揮したり、

図面を引いたり、

プレゼン資料を作ったり、

そういうことです。

共通言語を”話す”

共通言語を使って
“価値観を共有する”ということです。

“話す”ことは相手がいてはじめて成立します。

自分の持っている
スキルを言語化して、

はじめて相手と
言葉として議論できます。

「これはどういう意味なんだ。」

「もう一度見せてくれよ。」

「どうやってやるんだ?」

そういうことができます。

共通言語を”聞く”

相手の価値観を聞くということです。

不特定多数の人に
対して発信している有識者から、
知識を得ることができます。

言葉や魅力を知らないと、
ただのノイズでしかないものに
価値を見出すことができるということです。

自分の価値観に落とし込むことができるということです。

能力を語る尺度

なぜ“共通言語”という
考え方が大切だと思ったかというと、

その界隈でしか生きられない
人間になりたくないと思ったこと。

それから、
英語が話せないと世界で通用しない
っていう価値観が
必ずしも正解ではないということ。

そして、
何かを習得するということは、
英語を覚えるように
大切で難しいことだということ。

さらに言えば、
何かスキルを習得している人
っていうのは、何でもやれる素質があるんだということ。

そう思えるきっかけに
なると思ったからです。

ただ大切なのは、
”どこの範囲で通用するか”
を理解することは大切だと思います。

 

ゆうて、世界はあまりにも壮大ですから。

 

お客さんと同じ目線で話せるようにする。
誰にでも伝わるようにする。
意味のわからないニュースを理解できるようにする。

“共通言語を持つ”ということは、
新しい価値観に触れようとする意志でもあり、
アンテナを広げようとすることであり、

元をたどれば、
どれだけわかりやすく伝えられるかという
“思いやり”の部分でもあると思います。

”共通言語として持っている”
という自覚が大事だと思いました。

そしてそれを、
数えられることが大事です。
これができる」と言えることが大事です。

 

どうやったら、
「こんなことができるようになるものなのかな」
と思っているものの、
“その世界の中”一歩踏み込むことができるのか。

 

いつまでも、守られた範囲で
戦えるわけではありませんから。

最後に

人生生きてきて、
無理難題に何度もぶち当たってきていると思います。

 

因数分解なんて
(  )(  )
で文字が入っているだけの記号ですから。

これをどうするんですか。
すげーな中学生。
って思いました。

以外とできるもんですよね。

 

やはり人間できないこと
なんてないんじゃないのかな。

これを絶対やらなければ
ってこともきっとないですし。

 

ただし、
言葉として知っていて
損することはないんです。

しっかり意図を理解して、
多くの情報を
受け取れるようになることですから。

 

共感していただければ、
今自分の取り組んでいるものが
どういうスキルを要するもので、
誰とコミュニケーションができるのか、
意識してもらえると良いかなと思います。

その仕事もその会社だけの
尖ったスキルというわけではなく、
他の会社や人間関係でも発揮できるものだ
と思ってもらえると思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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