【To be continue】正論を継続議論に持ち越そう

正論は
正しいことを論じることなので
もちろん悪いことではないです

ただ、今それを言って何になる?
ってことを口にすることって

思慮が足りないのではないのでしょうか

正論は間違ってないです
それ故に
正しく真っ当な議論を生みます

それを踏まえて、
考えが至らなかった部分については
継続議論がされていくでしょう。

つまり
「それで良いのでは?」
と、思うのです。

声に出して発信すること

発信することには
大きなメリットがある一方で
その強さも踏まえておく必要があります。

影響力がある

発信することには
大きな影響力があります。
声に発されることで、
頭の中だけのことが

初めて世に出て形になるのです

言語を伴う形になっていれば、
それは意味を持ちますから
誰かに届きます。

即効性がある

とにかく声に出せば
聞こえる人に
何かを伝えることができます。

何かすぐに行動に移さなくてはならない時
声を大にして発信することは
非常に有効な手段になります

言霊として残る

一度発信した事実は消えません。

形を伴わなくても
記憶に残っていきます。

正論の使い方

正論は正しいので、
正論を否定することはできません。

つまり、一方通行の矢印です。
その矢が向けられた人は
刺さる一方です。

それを理解した上で
発する責任があります。

思いやりを持つ

自由や権利があれば
それを施行する人には
義務が伴います

その義務とは、
相手を思いやることだと
僕は思っています。

発することは”強い”ことです

影響力を持ち
すぐに伝播して
そして、居座ることです。

それだけの
”強さ”、”影響力”
意識して欲しいです。

タイミングが命

それだけに発言は
場の空気を一変させる
強さを持つわけです。

いつだって正しさだけで成り立つような
まっさら潔白なものなんてありません

どんな美しいことでも
きっと裏側では
お金が動き、
誰かが苦労をし、
誰かが涙をしています

だからこそ真意を見ぬいて欲しい。

今、世の中で取り上げられるべき側面は何のなのか

タイミングを誤れば
横槍さすな。
水を差すな。
そんな風に思われてしまいます

議論されるべき

何度も繰り返しますが
正論は正しいのです。

何か違和感があるから
それを発するわけです。

誰かの間違いを正したいから
それを発するわけです。

それが不必要であるはずもありません

必ず、誠意を持って
向き合われるべきだと
僕も思います。

最後に

ルールがあって
モラルがあって
その上で丸く社会は成り立っています

それを守るべきです

だからと言って

正論はいつでも正義だと
辺り構わず振り回して良いのか
疑問になります。

人が集まればうるさいです。
ゴミも出ます。

誰かが嫌な思いをしても
それでも祭りは開催します。

 

なんの意味があるのでしょうか?

 

意味はなくても
待っている人がいるから
開催されるんですよね。

ゴミは出るから拾うしかなくて
うるさくて迷惑かかるから
謝るしかないのです。

泣き寝入りをするのではなくて
後から議論するべきなのです。

お互いが、お互いの真意を
理解しあえれば少しずつ丸くなっていけます。

それでいいのではないのでしょうか。

鋭利な正論で
一方的に切りつけるのは
一旦やめたいです。

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