【庶民の価値観とおもてなし】サービスに対していくら払えるのか

日本で生きる




“おもてなし”にお金を払うと言うの感覚は
庶民にはないんだろうなと思いました。

そう思ったのは
今までの人生で
『このおもてなしをしてもらえるんだったら
もう少しお金払っても安いくらいだ。』
と思った経験がないからです。

皆さんはそう思った経験ありますでしょうか。

 

例えば10000円払って得られるサービスがあったとします
清潔に保たれた空間
品格のある従業員
心のこもったサービス
全てを余すことなく享受できるとしたら
満足感もしっかり得られることでしょう。

そのサービスを受けた後で
“本当に贅沢な時間を過ごしたなー”
と思えたらその経験は
あなたにとって上質な時間だったのだろう
と言えると思います。

一方で、
あなたにとって高すぎる値段を払って
何かしらのサービスを受けるとします。
仮に10万円を払ったとします。

10万円も払っていると
全てのサービスに対して
“これくらいしてくれても当たり前だろ”
と、感じるようになるのではないかと思います。

というのも、
同じサービスを半額の5万円でうけて満足した時に
“このサービスなら10万円払ってもいい”
と思えることはそうそうないと思うからです。

凄く品格があって、
サービスに対して厳しくランク付けできる人は、
細やかな気遣い1つずつにその価値を感じられて
“このサービスなら10万円でも安いわね”
なんて格付けできるのかもしれません。

ですが
大概の人はそんなことに気付きません。

 

何が言いたいかと言えば、
“おもてなし”と言うのは
“ある程度の域に達すると上限に達する”
と言うことです。

そして、
チップ制度の無い日本では
“やってもらって当たり前”

むしろ、
できないとクレームに至るのです。

 

ここから言えることは、
サービスに対する価格設定は凄く難しく
あいまいな価格設定になっている場合もある
と言うことです。

 

特にスマホのアプリは
大概が無課金で使えます。

それが当たり前の現実としてあると
サービスを受けるためにお金を払う
と言う価値観は益々薄くなります。

 

このような現代で生きる我々は、
サービスに対しての価値づけが苦手になり、
一周回って自分自身が持つ提供価値まで
低く見積もるようになってしまうのです。

最後に

しっかり納得感を持って
お金を払ってもらうために必要なこととして
1つ確かなことがあります。

それは、
『ユーザーの誰もがその価値に納得していれば
全うにお金を払ってくれるのだ』
と言うことです。

ガソリンがなければ移動できない現在は
ガソリンがどんなに高騰しても
甘んじて払って買います。

食べ物が高くなっても
食べないと死んでしまうので
甘んじて買います。

LINEが急に課金アイテムになって
連絡が急に誰とも取れなくなったとしたら
甘んじてお金を払うことになると思います。

 

サービスに対する課金とはそういうものなのです。

 

逆に、消費者として、
初めから課金することが前提のサービスがあった時に
その値段の価値が具体的にわからないのであれば
言いなりになってその値段を支払うのは危険だと言えます。

“これは○○の為に払ってるんだ”

この様に、
ちゃんと意味づけして課金しているのであれば、
それには支払うだけの価値があると言えると思います。

自分の価値観で
“上限に達しているサービス”
すなわち、
“これくらいやってくれなきゃ困るよな。”
と言うようなサービスに対して支払う金額については
しっかり自分の価値観で値付けするようにした方がいいと思いました。

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