【復興の兆し】アフターコロナの姿とは

日本で生きる




本日大好きな先輩のウェディングパーティに
参加させていただきました。

引退して、
もう何年も経ち
一緒に活動したのは今や昔。

そんなメンバーが集まっていましたが
昨日までみんなでいたかのような雰囲気がある
居心地の良い空間がそこにはありました。

そんなかつての当たり前を感じられていることに
幸せを感じられた瞬間でもありました。

コロナが蔓延して以降
初めてのパーティに参加して
こうやって復興していくんだな
そんなことを感じました。

アフターコロナの姿とは

マナーありきの時代

今日の会場は
ビュッフェ形式ということで、
それぞれのテーブルに大皿があって
それを取り分けるシステムでした。

僕自身は
正直物怖じしてしまいました。

このご時世で
取り分けて食べるって
なかなかチャレンジだなーと。

とはいえ、
それでは食事が進まないので
取り分けが始まりました。

もちろん直箸なんてのは厳禁で
みんなそれぞれ気を使いながら
取り分けが進んでいました。

正直当たり前の光景ですが、
昔は別に気にも留めていなかった行動に
意識が向いている自分がいたのも事実で、
誰もが、”感染リスク”に対して敏感になり
気を配っていることを確認できました。

マスクはエチケット

“マスクなしで生活してもいい”

その確約が取れるまでは
各人意識してマスクをつけて
生活していくのだろう。

当たり前ですが。
そんなことを感じました。

最後に

世界中に
人の命を簡単に消し去ってしまうような
そんな危険を伴うものは山ほどあります。

それでも、
その中で生活できているのは
それで人を傷つけてはいけないというルールがあり、
最大限気を付けなければというモラルがあるからです。

コロナもそういうものに
認定されつつあるのだろうと思います。

危ないから
使わない。
のような考え方ではなくて、

危ないことをみんなで理解して
正しく安全に使う。

そんなイメージです。

先輩が、
「みんなでお酒を飲めるのが本当に楽しみだった」
そう言っていましたが、
本当にその通りだと思いましたし、
その時間が本当に掛け替えのないものだと
感じることができました。

 

復興一発目のパーティが
先輩たちのお祝いだったことが
自分にとっては特別でした。

笑顔が誰よりも似合う二人で
いつも、輪の中心にいるような人でした。

また彼らを中心にして
こうやって集まれたことに
何かしら意味があるのではないか
そんなことさえ感じました。

日本全国から、
かつての仲間が一斉に集まり
同じ空間を共有すること

こんなミラクルは
今後あと何回あるのか、、、
という話です。

 

かつて憧れた先輩の姿の
変わらず魅力的な姿を見て
当時憧れていたころと同じように
「こんな風になりたいなー」
なんて思えているのも
面白いような嬉しいような
恥ずかしいような、、、
そんな感じでした。

この楽しくて幸せな時間を
二度と失わないように
当たり前のことを当たり前に続けていきたい
そう思いました。

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