【人生を考える】生きがいを提供する生き方がしたい

自分を生きる




人の生きる目的になれるような
生き方ができたらいいなと思います。

生きがいについて考える

特に何もやりたいことがなくて
食って寝て1日が終わっていく日には
“自分は何のために生きているのか”
そんなことを考えてしまいます。

“生きているという実感とは何か?”
なんて、明確に言えるものではないですが

 

僕が思うに、

“明日はこれをやろう”
そう思って今日を終えれること

今日は早く帰ってあれをやろう

とか

自分がこれからやりたい
ものがあるときに一番
“生きている”と実感するのでは?
と考えるのです。

 

例えば、

朝は
“今日はこれをやりきろう”
と思って出社し

仕事をしながら
“昼になったらあれを食べよう”
とかを考え

飯を食べ場がら
“帰ったらあれやらなきゃな”
と思い返し、
昼後も仕事に励み

家に帰って家事をしながら
“今日も疲れたから
うまいもの食いながら
ビール飲んでサクッと寝ようかな”
とか考え

“今日もよくやったなー”って
思いながら至福の時間を過ごす。

そして
“明日はこれやろう”
とか思いながら寝る

こんな当たり前の毎日が
一番”生”を感じさせてくれるのではないか
と思うのです

一方で、

朝起きたくない。
何もしたくない。
別に帰ってもやることない
なんか1日終わった

そんな1日であれば
生きている実感は
しにくいと思います

明日は〇〇をする日だ。
今日は〇〇が楽しみだ。

そんなことが
毎日続く人生でありたいと思いますし
そんな”〇〇”を
提供できるような人になりたいな
とも思います。

生きがいを提供する生き方

毎日のように、

今日はこれをやって、
明日はこれをやる

ということを考えて
常にせわしないけれど、
充実した毎日を過ごしてた
時期がありました。

よさこいをやっていた時の話です。

よさこいが楽しかったのは

よさこいをやるために学校を早く切り上げて
活動を続けるためにバイトをして
より良いチームにするために本を読んで、、、

のように、全て”よさこい”のために
という気持ちでいられたからだと思うのです。

そこにいた時の中でも
リーダーになって目標を目指していた時や
自分の生きがいを提供してくれた場所を
後世に残そうと取り組んだ晩期の活動が
“命を燃やしたなー”
と言えるほど夢中になった時間だったな
と、振り返ります

あの時燃えられたのは
大きな目標があったのもありますが
メンバーにやりがいや居心地の良さを
感じてもらいたいと思っていたからです

それはすなわち
“生きている実感を提供する”
という活動に勤しんでいたからだ
と言えます。

人に充実感を感じてもらうという実感は
この上ない充実感を与えてくれます

最後に

自分は今
一介のサラリーマンとして
やりがいをもらいながら生きています

当時に比べて燃えないのは
自分が生きがいを提供できる立場にいない
というが原因だと思いました。

自分が提供側に立てるものを見つけて
夢中になりたいなと思います。

同時に
家族や友人にとって
会いたくなる存在でいることも
同じように大事だと思います。

そんな存在になれるように
精進していきたいです。

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