【支配的】二次情報源が持つ力とは

自分を生きる

日頃情報発信メディアや
インフルエンサーを介して手に入れる情報は
いわゆる二次以降の情報です

誰かが聞いた情報を
人づてに聞いている
そんな形です。

一方で、
僕ら自身が重要な
二次情報源になることがあります

それは
会議に出席した際の議事録や
何かを調査した際の報告書などです

二次情報源であることを自覚することで
二次情報源だけが持つ驚異的な力の存在に
気づくことができます。




二次情報源とは

とんちのような話ですが
二次情報源は
一次情報になります。

一次情報は
あるイベントが起きた時に
その場に居合わせた人だけが
得ることができる情報です

実際に見たり聞いたり
ナマモノに触れた人だけが
その”事実”を知ることができます。

つまり
当事者だけが
二次情報源になり得るのです。

二次情報源が持つ力とは

力の根源は支配的であるという性質

二次情報の形でしか触れられない人にとっては
その情報だけが真実になります。

上述したように
二次情報源=当事者ですから
その人が知らないことは
他の誰もわからないのです

この限定的であるという状態は
非常に強力なのです

なぜなら、
発信者だけが情報を選り好みでき
主観を織り交ぜることも容易で
情報量を制限することができるからです

情報を選り好みできる

すなわち
自分が体験した事実のうち、
伝える内容を制限することができます。

例えば
自分が見た車を
「赤い車」というか
「高級そうな赤い車」というか
「大きな赤い車」というかで
全く別の情報になります

“正しく伝える”
という役割を担うためには
誤解を招かないように
表現方法に気をつける必要があります

一方で
“余計なことは言わない”
という方針で情報伝達するとしたら
不都合な事実は隠すこともできるのです

主観を織り交ぜることができる

上の例の
「高級そうな、、、」
は、まさに主観が混じった情報です

しかし
“大きい”も、
時として”赤い”も
主観が入った言葉だと言えます。

つまり形容詞全般が
主観が入った表現だと言えます。

とはいえ、
形容詞なしで情報共有も難しいので
そこは発信者のさじ加減になるというわけです。

情報量を絞れる

本当は一部始終知っていることでも
小出しにすることで
そのトレンドを長引かせることができます

自分だけがその情報源であれば
自分が出し尽さない限りその話題は終わらないのです。

時として情報を制限することで
自分優位な展開を進めることができます。

最後に

自分一人での経験の場合は
もはやどうしようも無いのですが
二人以上で1つの情報を取得した場合は、
二人で情報の精査をすることができます

“事実を正しく伝える役割”で
二次情報源としての役割を果たすのであれば
複数人の目線でより客観的な情報にする方が
より確実だと言えます。

“印象を捜査する”という役割で
二次情報源を果たすのであれば
より偏った表現で
他の解釈が入る余地をなくす必要があると思います

 

二次情報源としての役割は
自分のさじ加減で
右にも左にも行けてしまうという点で
“自分の裁量が大きい”と言えますし
“責任が重い”と解釈もできます

情報発信を担うのであれば
自分はどんな役割で
どんな情報を発信すべきなのか
常に把握しておく必要がありそうです。

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