【いつかのもしものために】手の届く範囲を意識すべき理由

自分を生きる




痛烈なニュースを見ていると
もしも突然○○が起きたら、、、
と言うような
途方もないことを考えてしまいます。

外国から攻め込まれたら、、、
会社にリストラされたら、、、
家族から生理的に受け付けられなくなったら、、、
とんでもない病気になったら、、、

明日以降のことは正直誰にもわかりません

正直1秒先のことだってわかりません。

そんな中でも見通しを立てて
一か八か可能性の高い方を選んで
やっていくしかない訳です。

手の届く範囲の備えをするべきだという理由

例えば
“明日急に家族と会えなくなるかもしれない”
そう思って過ごせていたら
毎日を大切に過ごそうと
思えるだろうと思います。

例えば、
突然会社からリストラされるとしたら、
もしリストラされたとしても
どこでも働けるように
スキルを磨いておこう
と思えるかもしれません。

 

一方で、
外国が攻め込んできて
当たり前の日常が
全て崩壊する。

なんてことがあるとするならば
自分の仕事とか
お金とかスキルとか
そんなものはもはや何の役にも立たない
未来に突入していくこともあり得ます。

何が言いたいかと言えば
最悪を想定するのは
今を大切にするという意味では
非常に有意義なことではあるものの、
自分一人ではなくて
世界秩序がひっくり返るようなことが起きた場合は
“もはやそんなコト対した問題ではない”
と言われるほど
個人の悩みは小さくなってしまうということです。

手に負えないレベルの大惨事に対して
自分の手ではどうしようもないことを
悲観的になりすぎても何も変わりません。

自分の手の届く範囲での備えをして
後は生き抜く覚悟を持っておく。
くらいしか準備できることはないと思います。

 

もし、それでも悩み続けたい人は
世界を動かすことができるほど
手の届く範囲を広げる必要があるということを
心得ておく必要があると思います。

最後に

自分の手の届く範囲
と言う言葉があります。

 

隣の家の人間は守れないが
自分の家族は守れる

全ての学生は無理かもしれないが
自分の後輩の力にはなれる

世界は変わらないかもしれないが
身の回りの”負”には手を加えたい。

などなど、様々です。

人は得てして、
手の届かないレベルの話に対して
大きな不安を感じてしまいます。

有事の時は
もう、成す術もないこともあります。

 

だから僕は
一つの結論にたどり着きました。

どうしようもない未来に
対して悲観的になるのはやめよう

と言うことです。

 

コロナに成ったらなったで
もう適応するしかなかったように、
もしもの時は、
何とか慣れて生きていくしかない訳ですから。

手の届く範囲の備えをしながら
常に臨機応変な対応ができるように
心構えだけしっかりしておく。

それくらいのつもりでいたいです。

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