【BUMPの生き様から学ぶ】進歩するということ

あの頃と比べて成長したなと
感じることは多々あると思います。

ただ
成長の対義語が衰退であったり
進化の対義語が退化であったり
前に進むということで
今の方が過去の自分よりも優れている
と言い切れるのでしょうか

いつだって
進化し続けてきた
“今”が最善だと
僕自身はそう感じてきましたが

必ずしもそうでは
なかったのかもしれないと
BUMPの音楽が教えてくれました。

BUMPの生き様

藤くんが2014年の
WILL POLICEというツアーのFINALで
言っていた言葉があります

好きなことでメシを食おうとすると
時には勇気がいったり
覚悟いったりするんですね

僕たちの曲や音楽が持っている使命ってのが
すごく大きいんだということに気づきました

曲が必要としていることをやることは
ビビってでもやらなくちゃいけないことだと思って
最近ついていくので精一杯です

昨日紹介した初期BUMPの
ライブ映像では

僕たちはいい音を鳴らすだけだ
お客さんに届けるとかいうのは
自己満のその先だ

なんて言っていましたので
根底は何も変わっていないことがわかります

ただそのあとに続くMCが
過去の価値観とは変わっていることを
強く物語ります

BUMP OF CHICKENは一人一人は田舎っぺだけど

俺らの背負っている看板は
すごくかっこいいということを
君たちが教えてくれました

誇りに思いますみんなありがとう。

ありがとう

はじめは好きでやっていた音楽を
ただひたすら鳴らしているうちに
自分たちの背負っている看板の大きさに気づく

そして、このままではダメだと
看板の大きさに負けないように
音楽がやりたい音をならせるように
決断をしたわけです。

これを機に、
アニメのOPになるようなことも
めちゃくちゃ増えましたし
メディア露出も増えました

それをどう捉えるかは
人それぞれですけど
一人でも多くの人に
BUMPの音楽を届けるために
取った勇気ある行動であるわけです。

この決断でBUMPは確かに
次ステージに進んだ気がします

ただ、それが上位のそれなのか。
昔よりステータスが上がったのか。
もちろんそういうわけではないと思います。

それはBUMPの音楽が語っていて
日々進むために
いろんな勇気を振り絞って
前に進んできたからこそ
今歌える歌があって

過去のBUMPは過去のBUMPで
いろいろ模索しながら
時には尖りながら
生きてきたからこそ

かけた曲があったわけです。

そのどれもが
僕らリスナーにとって
どれもかけがえのないもので、

何が一番か何て言えない。
そう思うわけです。

僕らはどう生きるか

特に看板も背負っていない
僕らのようなちっぽけな存在でも
多くは違わないと思います。

僕なんかは
過去をとことん卑下してしまいます。

たくさん失敗したし
たくさん人を傷つけて
たくさん傷つけられて
特に何も成果として残せなかった過去を
情けなく思ってしまうからです

でもあの時の自分だったからこそできた挑戦と
形にできた何かがあるわけです。

どんなに小さくても
成果は確かにあって

今ならもっとうまくやれるとか思うけど
仮にもう一度挑戦できたとして
うまくやれたとしても、

それは今の自分が成長しているからではなくて
きっと”二回目だから”うまくできるに過ぎないと思います。

人生いつだって
たった一度の挑戦を繰り返します。
今には今の価値観があって正解があるわけです。

今よりも成長したいと思う気持ちは正しいけれど
いつだって今が
この瞬間の最高で
将来いくら成長したところで
今が将来の自分に比べて
劣っているわけではないです

言い換えれば
過去の自分より
今の自分が優れているわけでもありません。

ただ、
毎日歩みを進めるから
視点が変わったに過ぎないのです。

好きなアーティストの曲を
古いものから新しいものまで
全部同じように愛せるように

そう思うことで
自分自身も丸ごと愛そうと思えます。

最後に

僕の場合、
過去を大きなコンプレッックスにして
いわば反骨心みたいなもので
前に進もうとしている
側面がぬぐいきれませんでした。

それが悪いわけではないんですけど
そういうモチベーションで
過去を慮ると
どうしても卑屈になってしまいます。

それが嫌でした。

今回、
BUMPの魅力を
文字に起こしているうちに
過去が必ずしも劣っているわけでは
ないことに気づきました。

日々勇気を持って前に進むこと
その大切さを改めて感じました。

いつも大切なことに気づかせてくれる
BUMP OF CHIKENに感謝です。

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