【薄まるよさこい色】どまつりはどこに向かうのか?②

2020のどまつりは、
どまつり色が濃くなり
よさこい色が薄まっていることを
痛感させられたどまつりだったと思います。

確実に言えることは
どまつりが評価するのは
“よさこい”ではなくて
“どまつり”だということです。

よさこいとは

よさこいのとは

ウィキペディア曰く

①夜さ来いが派生したもの

②高知の民謡よさこい節のこと
    もしくは、高知のよさこい祭りのこと

③よさこい祭りのような形をとり言えれた
    各地のまつりやイベントのこと

という3通りの意味を持つようです。

高知にいる人は②の意味で使うし

日本各地でお祭りに参加している
踊り子たちは③の意味で
よさこいを使うわけです。

ただ、現在では
③からさらに派生して

④各地の民謡を入れた音楽に乗せて群舞すること

という意味もあると思います。

ですから、
多くの人は
踊ること自体を意味して
“よさこい”を使っていると思います。

よさこいという言葉しかない

多くの人が発する“よさこい”
ニュアンスの少しだけ違う
異なる言葉だ
という難しさがあります

高知の人から見たら
各地のイベントはよさこいでもなければ
各チームの踊りもよさこいではないのです。

ただ、
それ以外のイベントやまつりで育った人からすれば
全てがよさこいなのです。

今や、
ジャンルが枝分かれして
多岐にわたっているにもかかわらず、
“よさこい”としか表現できていない
現状があります。

それはひとえに、
“よさこい”という言葉以外
日本語として定着していないからです

よさこい色が薄まるとは

④の意味の中の
踊りと言うジャンルが占める割合が
減ったと言う事を意味しています。

今回のどまつりは
踊りと言うジャンルというよりは
映像作品という形で評価されます。

今までは踊り手として参加すること
表現することがどまつりでしたけど

今回のイベントを経て
どまつり性、
エンターテイメント性、
+感動

という観点から、
どまつりが求めている要素を
伝える手段が
必ずしも踊りでなくてもいいんだ
ということがわかったと思います。

どまつりで評価されるためには

採点基準からすれば

地域に深く根を下ろし
唯一無二のチームらしさがあり
情緒豊かに表現されていて
メッセージ性が一番伝わる形で表現されていて
そして何より心が動く作品である

というところではないでしょうか。

そういった意味でどまつりは
踊りと言うジャンルでありながら
本当になんでもありの
地域対抗の無差別級
デスマッチのようだと
言えるのではないのでしょうか

どまつり性、
エンターテイメント性
それに加えて感動点を加算する

という審査基準を
どまつりは提示していますが

それに対して返す作品が
必ずしも”よさこい”でなくても良いわけです。

踊っているのか
ステージを装飾しているだけなのか
歌っているのか
もはやわからない。

それがどまつりの作品であって
間違いないということなのです。

最後に

不易流行という言葉が
ありますが、

変わらない審査基準
に対して

表現の仕方に縛られずに
新しい表現要素を取り入れて
一番伝わる形で
表現された作品であること

これが
どまつりで戦う上で必要な
作品の形であると
言えるのではないのでしょうか

上でも述べたように
よさこいの意味が
多岐に渡って派生しているように

『”どまつり”ってなんだ?』

と聞かれても、
その時その時で解釈は
変わっていて
然るべきなんだと思います。

歴代大賞チームがいて
今年のどまつりの形があって
その結果を経て1枚ずつレールが
敷かれていくように

『本当はこうだ』

何て言えるはずもないのです。

ただ言えることは

評価されるチームは
いつだって最先端の形を表現していたということ

自らの解釈で
自らの作品コンセプトが一番伝わる形で
世に送り出されていたということ

それだけは共通して変わらない部分だということです

イルカとクジラが違うように
猫とライオンが違うように
人と猿が違うように

もはや進化してきた今の形は
始まりとは全く別の形をしていて

それでいて、
はじまりの形は
名残を残しながら退化していく

まさにそんな進化の過渡期を見ているような
そんな気がします。

2020の新しい形に対して
何が残って
何が消えていくのでしょうか?

来年以降
どんな形で続いていくのか
ますます楽しみです。

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