【脱美徳】とにかく会話をする意義

音楽と生きる





“察する”
ということが美徳とされる文化があります。

きれいな言葉で言えば、
“”思いやり”です

相手が何を考えていて
何をしてほしいのかを想像しながら
その行動をとること。

それが思いやりであり
察するということです。

 

しかし、
難易度が高いです。

 

ですから、
そういう上級者的な技に頼らず
誰もが同じように正解にたどり着ける
地道な策をとる方が
ベターだと言えないでしょうか

その手段として効果的なのが
会話することなのです。

“察して”の難しさ

要求値が高いから

“察して”
という言葉は、
「1言うから10受け取ってください」
というのに等しいです。

それは無理なお願いです。

 

誤解を招くから

「1言うから10受け取ってください」

を頑張って実践して
とりあえず間を埋めてみたものの
求めている形ではなくなった。

ということがあると思います。

10にたどり着けばいいものの
ー10にたどり着く場合もあるので
要注意なのです

自己満足感で満たされるから

「要求値全部察してあげられた」

という達成感は大きいですし、
「察してあげたよ」
みたいな、
半ばマウントを取った形になります。

ですから危険なのです。

とにかく会話をする意義

これらの難しさを解消するのが会話です。

わからなかったら
都度聞き返すことができます。

それだけで世界が変わります。

 

最後に

やっていた気になっていた。
わかっていた気になっていた。

“むしろやってあげている”とさえ
思っていたというのが実情でした。

冷静になって振り返ると
“やってあげた”なんてことはなくて
むしろ、自分が何もやってなかった
というオチさえあります。

だからこそ、

会話でしっかり合意を取りながら進めることが望ましいです。

 

大事な関係ほど
会話を多用していく方が良いです。

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