【美しい日】妹の結婚式の感想

音楽と生きる




お兄ちゃん感動しました。

たくさん感じることがありましたが、
エンドロールに採用されていた
SUPERBEAVERの美しい日という曲の歌詞が
全てを代弁してくれている気がしたので
それに合わせて書き進めていきたいと思います。

本当に幸せな時間でした。

幸せだと思えた理由

両親への感謝にあふれるから

誰かにとって
「たかがそれくらい」の
ありふれた歓びを
うれしいと感じた瞬間に
思い浮かんだのは誰?

僕は今日、
妹が結婚式で
心から喜んでいる姿を見て
その瞬間を両親に伝えたくなりました

結婚を言い換えれば、
ここまで大切に育て上げた我が子が
家族の一員として認めてもらうことだ
と言えると思います

主役は新郎新婦ですが、
2人のラブストーリ同等に
生い立ちには興味があるはずで
その立役者が誰かと言えば
ご両親になるわけです。

ここまでご苦労様でした
そしてありがとうございました。

そう伝えたくなります。

多くの人への感謝がこみ上げたから

僕は人に生かされて
人と生きている
ああ
幾つもの愛と生きている

妹が招待した友達は
びっくりするくらい知らない人だらけでした。

あまりにも
妹のことを知らなすぎるだけなのかもしれませんが
これだけの友達がいて
祝福してくれていることに
感動しました。

これは
妹が先に社会人になり
家を出るまで
毎日一緒に生活していた
自分との時間よりも
濃く長い時間をほかの人と過ごしていた
ということです

当たり前のことですが
それが本当にありがたく
感じました。

これだけ多くの人との関りが
妹を支えて
ここまで活かしてくれていたのか。

そう思ってこみ上げるものがありました。

日常が愛おしく思えたから

もしかして幸せは
訪れるものでも
待っているものでもなくて

今ここにあることに
気が付くものなんじゃないかな

確かに、
結婚式は一生に一度のイベントで、
ついに訪れた特別な日だと
言えるかもしれません。

ただ、感じたのは
確かに特別なイベントは
一生に一度きりのもので
印象的なものではありますが
その瞬間に幸せだと思えるのは
今この瞬間を迎えられていること
そのものなのではないか
ということです。

イベントは
わかりやすく
その幸せを可視化してくれているだけだと
言えます

その場に満ち溢れているのは
多くの人に祝福されている事実や
自分をここまで生かしてくれた存在が
本当にたくさん存在するということ

そして

これからの未来を
ここにいる人を始め、
多くの人と関わりあって
生きていくのだろう
ということです

辛い思いも含めて人生だと気づけるから

今日までの道のりがさ
正しく最短だったのかって
わからないけどなんとなく
これで良かったと思っている

妹はよくケンカをしました。

僕だけでなくて
親ともたくさん喧嘩をしていました。

思春期には
学校で辛い思いをしていたし

大人になっても
人間関係で悩むこともあれば
災難に見舞われることも
たくさんありました。

全てが
結果オーライだった
という事実が大前提になりますが
それらの経験があったから
今この世界戦に繋がっている
そう思うと、
無傷で安全な道を進むことだけが
正解ではないんだろうな。

そう思うことができました。

平坦ではない道を歩いてきたからこそ
感じる有難さ
そして幸せがあるんだろうなと感じました。

“ありがたさ”を痛感できるから

誰かにとって
「たかがそれくらい」の
ありふれた歓びでも
愛しいと思えたら
大切にすればいいんだよなあ

言葉にすれば
「たかがそれくらい」
のことが愛おしいと思えるのが結婚式です。

ただ、前と比べて食生活が変わったという事実
毎日「おはよう」と声をかけてくれていたこと
などなど、

切り取った
「たかがそれくらい」を
過去に当てはめてみると
物語になります。

その物語は
過去実際にあった話で
その話は人と人との間にある
共通の思い出になるので
愛おしく感じるのです

今この瞬間が幸せだと感じたから

特別は
そうだ普遍的な形をした
幸せだ

今この貴重な瞬間を、
誰かと一緒に過ごせているとしたら
それは幸せなことです。

当たり前の話になりますが、
生きていからこそ
共有できている幸せです。

思いやりを持って関わり合い
関係を継続させてきたから
感じられるものです。

今日この瞬間が
どれだけ特別でレアなイベントだったとしても
その場で披露するネタがなければ感動することもありません。

そのネタが何かといえば、
結局日常の何気ない一コマなのです。

だからこそいえるのは
この瞬間が特別で
ありがたいことなのだ
ということです。

最後に

「素敵なお嬢さん」
そう言って家族に迎え入れてくれたこと。

これは家族としては非常に有難いことです。

そして、いろいろあっても
無事に人生を送れていることに
感謝の想いしかありません。

僕でこんなに感慨深いのだから
親の気持ちは計り知れないな
そう思うのです。

 

「妹をよろしく頼む」
と思う気持ちと、
「妹よ。幸せになれよ。」
という気持ちと
「両親ともにお疲れさまでした。
本当にありがとう。」
という気持ちが忙しく入り乱れました。

それほどに感情揺さぶられる一日でした。

 

生活リズムはあまり重ならないし
家族の行事も特段あるわけでもない
だから、
たまに4人そろってご飯を食べるときに
笑いあえる瞬間があると
「明日隕石でも落ちるのかな」
なんて話が出てくるくらい
薄い関わりの家族でした。

その理由は
子供がやりたいということを
優先してくれる家だったからです。

好き勝手やる僕らを
見守ってくれていた両親です。

その有難さに気づくのは
いつだって戻れなくなってからです。

 

中身があるかと言えば
ないかもしれない。
そんな、
ありふれた日常を
こんなにも懐かしく
愛おしく思えた日はありませんでした。

人に生かされて
ここまで生きてきた。

幸せは
「たかがそれくらい」
の中に込められている。

このメッセージを胸にして
家族を大切に生きていこう
そう思えました。

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