【誤解多数】”正しいようで間違っていること”とは

自分を生きる




未だに良いものを作れば売れると
考えている人が多いことに違和感を感じます

本気で結果を出したいのであれば、
いいものを作れば売れるという価値観を
捨てなければいけません。

とはいえ、
この価値観は
若いころからずっと
刷り込まれているようなものでもあるので
容易には抜け出せない課題でもあります

まずはそこから脱却することが
目的になっています。

“正しいようで間違っていること”とは

頑張れば報われるということ

いきなり辛辣な話のように聞こえますが、
努力は推奨派です。

ただし、頑張れば報われるとは
寝言でも言えません

例えば、
諦めなければ負けることはない
という言葉の通り
失敗しても次の挑戦に向けて走り出せば
また次の戦いが始まりますから
ゲームオーバーになることはないのです

ただし、
一つ強く言いたいのは
終わりはしないけど、
勝てる保証があるわけではない
ということです。

そこを履き違えると
そろそろ報われても良いと
存在もしない神にすがるようになってしまいます

頑張れば勝てる

強いチームの練習量が多いかもしれません
練習量が多ければ強いチームになるわけではないです

勝ったチームは間違いなく強いのですが、
強いチームが勝てるわけではないです。

それほどに、
勝利というのは、
手にするのが難しいものです。

日本人は無信教徒だといわれますが
信じもしない神様に
都合のいいときだけ縋ります。

これだけ頑張ったのだから
勝てますよね、、、

なんて言ったりします。

頑張れば勝てるなら、
どれだけ楽かという話です。

頑張っても勝てないから、
悩み苦しむ訳です。

敗因を努力量に
置き換えているうちは
一生勝てないのです。

良いものを作れば売れる

たいしたことないものでも売れることは
中国製の粗悪品をみてもわかります。

自分自身も
良いものが隣にあっても
安い方を選ぶように
良いものだけが売れるわけではないのです。

それなのに、
良いものを作ることに躍起になるのが
往年のエンジニアだと思うのです。

別に難しい問題を解いたからと言って
それをお客さんがほめてくれるわけではありません

過程なんて見てないのです。

言ってしまえば
丁度いいものが売れるのです。

必要な機能があって
一番経済的。
ほとんどそれだけでいいのです。

最高のものに仕上げるだけが
価値ではないのです

最後に

頑張ってきたものに愛着がわくと
良いものを作ったのだから勝たせてくれ。

そういう気持ちになります。

良いものを作れば認めてくれる
認められないのであれば
それは見る奴の価値観がおかしい。

そんな風にさえ
思うことがあります。

つまり
自分たちには非がないという考え方です

 

そんな色眼鏡かけて
現実が見えるはずもないです

 

ですから、
これから僕らが日々意識すべきことは
良いものを探求するときこそ
要求されている価値がどの程度か理解することです。

せっかく努力するなら正しい方角に
エネルギーを使うべきだからです。

いきなりは無理かもしれませんが
“努力すれば報われる”
と考えないことが大事です

神頼みは、
もう、やめにしましょう。

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