【テレどまつり】映像作品の魅力とは?

日本で生きる




どまつりの余韻が抜けません。
この期間中に思ったことを
忘れないうちに書き残しておこうと思います。

一観客の感想ですが、
お客さんの生声だと思って
来年に活かしてもらえればと
思います。

映像作品の魅力とは

地元推しが眩しい!

本当に好きなものを語るとき
人は目の色を変えます。
声もワントーン上がります。

 

本当に地元が好きだ!
って気持ちが伝わる演舞は
行きたいなーって思わされます。

 

彼らだけが知っている穴場があって
彼らだけが知っている一番綺麗な時間帯がある

それを一番魅力的な形で
使ってあげている作品を見ると
グッときます。

 

僕がハッとさせられたのは
“AAA瑞穂”というチームなのですが、
“とりとめて、魅力的な場所はないけれど”
のような自虐ネタもはさみながら
一番地元が魅力的に見える
“春”を撮影時期に選んで作品を仕上げていました。

これはステージではできないことですよね。
映像作品だからできることです。
映像作品だからこそ
一番伝えたい形で地元をPRできている。

 

地元を好きな人が
一番好きな形で
魅力的に表現する。

これぞ”どまつり”だと思います。

聖地巡礼したくなる!

漫画でもアニメでも
ドラマでも映画でも
はまってしまえばその場所は
特別なものになります。

そのために必要なのは
“いかにその作品や
演者、そしてチームに引き込むのか”
ということになると思います。

これはどまつり性という採点基準の中にもある
“ストーリ性”という指標がものを言うと思います。

あるテーマを取り上げて
4分間に詰め込むわけですが、
ここに関して夜宵は上手でした。

清洲城から始まり
桶狭間の戦いを経て
清洲城に戻る。

ただそれだけだからこそ
わかりやすく
作品に没頭できました。

一人一人の表情を上手に魅力的に
引き抜いたカメラワークも素敵でした。

 

個人的な考えですが、
この観点で光るために
一番大事なことがあると思います。

それは
”雑味を入れない”
ということです。

本気で踊っている人の後ろに
演出ではない、ただの野次馬がいたり
せっかく役に入り込んでいるのに
体育館だったり、、

目が散る作品では没入できません。

 

ステージで”幕”を出すのは
その風景をステージには持ち込めないからです。

映像作品において、
自分たちで好きにロケーションを選べるのであれば
もはや幕さえ必要がないとも言えます。

その場が持つ空気感や
曲も踊り子の雰囲気も
全てが一体となった作品が生まれた時
その作品は見る人を十分に魅了するものに
なると言えるのでしょう。

メッセージ性が伝わる

kaguraのプロローグ
嘉們のエピドーグ
非常に好きでした。

kaguraは遊女濃安都から始まり
大賞を受賞した九重-絢爛豪華-を経て
今年の愛謳-AiUTA-に至るまで
まさに芸どころ名古屋を体現するチームです。
名古屋にkaguraありといっても過言ではない
圧倒的なチームだと思います。

そんな彼らが
“kaguraに今できること”として
満を持して芸どころ名古屋を踊ります

ここまで積み上げてきたブランドがあったからこそ
一番強くメッセージを届けられるわけです。

“今、自分にできること”というのは
裏を返せば、
“自分にしかできないこと”だと言えます。

長年かけて積み上げてきた
彼らにしか伝えられないメッセージ性に
グッときました。

 

それから嘉們。
“あんたが変われば世界が変わる”

このフレーズも
パワーワードでした。

嘉們がテイストを変えて挑戦した2017年を皮切りに
嘉們自身がどまつりを変えました。

そんな嘉們がいうから
響く言葉だな。
と僕は思いました。

 

小さな行動一つを全力で促して
少しずつでも世界を動かそうとする
その大きな想いにグッときました。

 

演舞では、
言葉にすることもできず伝えられないものもあります。

それに対して、
察してくれと言わざるを得ない想いも
ストレートに伝えれてしまうのが映像作品です。

 

生でしか伝えられないものがあるならば
映像でしか伝えられないものもあるはず!

 

そんな大義を持って造られた作品が
光らないわけがないです。

そんな作品こそ
見る人の心に一直線に突き刺さるのだと思います。

最後に

今年も本当に楽しませてもらいました。

緣志の蒲郡の花火のストーリーは
渋カッコよかったですし
天嵩のロケーション良すぎでした。
心纏いは澄んでて美しく
笑゛は唯一お祭りしてました。

本当にたのしかったです。

 

さて、
今後のどまつりについてですが
“ステージ演舞”
“パレード演舞”
と並んで
“映像作品”がどまつりを盛り上げる
一つの柱になる日が来るのだろうと思います。

その理由は明確で、
“映像作品”ほど“どまつり性”を
強く表現できるものはないからです。

 

もし、仮に映像審査部門がなくなったとしても
映像作品を作り続けることに
大きな意味があると思います。

高品質な”映像作品”は
“メッセージ性”
“エンタメ性”
そして”地域性の理解”がないと作れないからです。

“どんなことをしたらお客さんが感動するのだろうか”
“何をすれば4分間引き込み続けれるのだろうか”
“このテーマの魅力を一番引き立てられるロケーションはどこなのか”

そんなことを
深く考えるきっかけになりますから、
作品の軸が太く強くなると思います。

 

それに加えて、
チームの地力を問われるという意味でも
真剣に取り組む価値がありそうです。

個で魅せられる踊り子
群舞で見せる構成力
動的な表現を際立てるパレード構成力
本気で踊りを楽しめるチーム力

どれかかけていても
魅力的な作品にはおそらくなりません。

 

“映像作品”は”どまつり”や
“よさこいの演舞”とはかけ離れている

そう考える方もいらっしゃるかもしれませんが
これほど顕著にエンタメ性を追求し鍛え上げられるものは
他にないとも思うのです。

この逆境が、
新たな表現力を育て、
日本のエンタメを引っ張て行く気がします。

どまつりのさらなる進化を期待して仕方ないです。
来年も楽しみにしています。

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