こんなことやって一体何の意味があるのか?という問いに答える

自分を生きる

高校時代とか
部活に注力している時間って
何の意味があるんだ
とか

こんな勉強学んで
何の意味があるんだ
とか

そうやって
理由を探しては
答えが見つからず
モチベーションだけが下がっていくような
そんな毎日を過ごしていたことを
思い出しました

今の自分であれば
ちゃんとした答えを与えてあげられる気がしています

その答えというのを
以下に記しておきます

やる意味が分からない人へ贈る言葉

まず初めに
“意味のないことなんてない”
と強く伝えたいです

全ては
その経験に対して
どう意味づけするのかにかかっています

学びのプロセスを学んでいると考える

例えば
将来二度と使うかわからない教科を通して何を学ぶのか
ということについてです

勉強は
基本的には公式などのルールの暗記と
そのルールを使った応用とに二分できると思います

これは
全てのものに通じます

料理だろうが
家事だろうが
人間関係の構築だろうが
投資であろうが
例外はありません

人間が作った仕組みであるので
人間が作ったルールがそこには存在していて
それを使う人がいるから
それは存在し続けることができているわけですから

思考力を鍛えていると考える

人生というのは決断の連続である
とは言いますが
“決断”いわゆる”判断”の練習というのは
現場でしか鍛えることができません

例えば
サッカーを始めとする
動的なスポーツでは
瞬間的な情報収集力と
人を動かす力と
判断決断力が試されます

そのトライアンドエラーの中で
現場でしか鍛えられない
現場力の様なものを鍛えることができます

最後に

サッカーを通じて
決断力を鍛える

こんなことを考えながらスポーツをやっている人なんていないかもしれません

僕が今回伝えたいのは
“これが意味づけをするかしないか”
ということなのです

意味を見出して
これにはこんな意味がある
と思って向き合えば
それだけの学びがある訳です

学びがあれば
人生にとってはプラスになるに違いないはずです

社会に出て
社会の一員として生きる
ということを言語化できていないうちは
何を鍛えればいいのか
具体的なイメージが付かないことだろうと思います

だからこそ大人が
“社会人になるということはこういうことだ”
ということを
正しく伝えてあげなければいけないのです

そうすることで
自分で自分の行動に意味づけできるようになるのです

それができれば
無駄な時間なんてない
そう思えるはずです

そう思えれば
人生はきっとスーパー有意義になることでしょう

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