【スイッチ】目線をどこに向けるか

自分を生きる




  

目線をどこに持っていくのが正解なのか

足元を見ろと言われたり
顔を上げろと言われたり

結局正解はなんなんだ。

そう思うことはありませんか。
お気付きの通りかもしれませんが、
臨機応変な使い分けが重要なのです。

目線を落として歩く

ラッキーな拾い物がある

会社で100件以上の特許を出願している
おじさんがいました。

彼曰く、
「気づきはその辺にあるから、
遠くを模索するんじゃなくて
足元の物を一つずつ拾っていくのが大事なんだ」
なんてことを言っていました。

ふとした拍子で
自分の足元を見下ろしてみる

足元というのは
現在地だと言えます。

ですから、
足元を見るという行為は、
自分が今まで積み上げてきた物を改めて
客観視してみることに他なりません。

そうすることで、
前に進んでいるときには気付けなかった
見方ができるようになり、
結果として気づきが得られるのです

遠くまで歩く場合ではなくて
探し物を探すような
現状をしっかり振り返るような
足場を固めるための時間であれば
視線は落としてみることも有効だと言えます

視線が下がるとまっすぐ進めない

当然のことですが
視線が下がるとまっすぐ進めません

特に今の時代で言えば
スマホに視線を奪われながら
歩く人がいます。

360度上下左右に広がる世界で
たった数10センチ四方の
視界に目線を奪われていては
まっすぐ進めないのも無理はないです。

それは
ゴールに向かって進めていないというだけでなく
必要な情報から遮断されている状態だと言えます。

目的地にたどり着くための歩みであるならば
しっかりゴールを見据えて歩かなければいけないことを
暗喩してくれている気がします

顔を上げて歩く

気分を上げられる

“下ばかり向くな”

という励ましの言葉があるように
下を向くとネガティブになります。

目線を上げて胸を張って元気に歩きながら
弱音を吐くことが難しいように
心と体は強くリンクしているので、
ポジティブに過ごしたいときこそ
顔をしっかり上げたいです。

思わぬ罠にはまる

足元に注意を向けていないと
ふとした拍子に
犬のフンを踏んだり、
深い水たまりに足を突っ込んだりと
予想だにしないアクシデントに見舞われます。

浮かれてしまったり
夢中になっていると
視野が狭くなります。

広い世界にいるのに
自分だけの世界に入り込んでしまうような
感覚になります。
言ってしまえば”無敵”のようだと
錯覚してしまっているということです。

その状態の時は
自分の踏み出す一歩は正解の場所に確実に向いている
という実感があるものなので
疑いもせずに自信満々に突き進めます

しかし
その勢いで沼に突き進んでいくと
一層深く潜り込んでいくことになります。

浮かれすぎもよくないということです

最後に

結局何が一番最適なのか。

おそらく、
自然な視線を保つというのが
ベストアンサーなんだろうと思います。

特にどこに目を向けるわけでもなく
音が鳴れば振り向き、
人がいれば道を譲る

空が綺麗であれば見上げて、
ゴミがあれば仕方なしに拾う

そんな余裕がある状態が
やはりデフォルトである必要がありそうです。

言ってしまえば
“臨機応変に動けます”
ということですから。

何かに集中したいとき
どうしても気分を上げたい時

そういう時は視点を変えることで
取り組む姿勢を変えると気分転換になりそうです。

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