【千秋楽】納めが特別である理由について

自分を生きる




何かを”納める”ということは
“それを通じて誰かに何かを伝える”
ということができなくなるということです。

 

終わりを決めて、
終わらせたくない思いを抱えながら
終わらせる準備をし、
しっかり終わらせる。

 

この経験を通して
生み出したもの(作品)の大切さを
改めて感じられます。

納めとは

納めと言うのは
人ではなくて、
モノゴトの最後を指す言葉です

人生の最後と言えば”死”です。

人生でいえば
終活という終わりに向かっていく準備期間があり
遺言という最後のメッセージがあります。

同じように、
作品にも終わりに向けた準備があって
残していきたいメッセージがある訳です。

一方で、
人の死は唐突に訪れますが
“納め”は決まった日の決まった時間
決った場所決まったメンバーで執り行うことができます。

これは”死”との違いです

だからこそ、
“納め”と言う時間は特別なのです。

納めが特別である理由

生みの苦しさがあるから

人の誕生が奇跡的であるように
作品の誕生も奇跡的です。

その作品を作るために人が集まります。
誰が集まるかによって価値観は異なります。

“その作品で何をしたいのか”
という目的が違えば
表現手段も変わります。

自分たちが何者で
自分たちには何ができるのか
というような具体的な能力と向き合うことで
改めて実現できる形が見えてきます。

置かれたた環境
様々な困難の中で
決められた日に間に合うように
仕上げていきます。

そうやって生み出された作品には
魂が宿ります。

魂が宿るからこそ
最後を共に過ごす。
最後を大事にするという価値観が生まれるわけです。

作品にも人生があるから

人は多くの人と過ごすことで成長し
喜怒哀楽を経験することができます

時には、
社会の理不尽さを通じてやるせなさを感じることもあります。

その様なことが折り重なって、
人が生きていくその過程にストーリが生まれます。

作品も生みだしたら終わり
と言うことはなく、

人に披露して評価をされ、
ダメ出しをくらいながら改善を重ね
人とぶつかりながらその形を変えていく。

そうやって、
関わる人全ての影響を受けながら
出来上がっていく形があります

だからこそ、その作品は、
もはや”誰かだけのもの”として留まることはなく
それ自体が愛し愛される命あるモノのように
扱われるわけです。

残したいメッセージがあるから

生み出したときには、
この作品を通して伝えたいメッセージがありました。
やりたいこともありました。

その作品を通じて
たくさんの人と関わることができました。

だからこそ
この作品でできることはまだまだある
と感じてしまう訳です。

 

納めという
最後の仕事では、
今まで積み重ねたもの全てを詰め込みたい

そして、その全てをしっかり感じ取りたい。

そんな様々な思いが渦巻きます。

次に繋がなければいけないから

生き物ではないので
突然死ぬことはありません。
それを、人が”終わらせよう”としなければ
終わることはないからです。

それでも納めなければいけない理由があります

それは
“次につなげる”
という使命があるからです。

人は老いて
かつてと同じようには過ごせなくなります

一方で、モノゴトには老いがないです。
その代わりに、”引継ぎ”があります。

その中にいる人がどんどん変わっても
同じようにその場所を存続させなければいけない。

人の細胞が数か月で全て生まれ変わるように
新陳代謝をしなければいけない。

だから、
満を持して納めがある訳です。

最後に

改めて”納め”と言うものが特別だな
と感じました。

人の死とは異なり
最後の瞬間を最後だと認識して
みんなで大切に過ごせるからです。

生みの苦しみや
共に過ごした時間があるから
どれだけ時間があっても語りきれない想いになるし、

最後の最後、
この作品でやれることは全部やらなきゃ
という壮大な使命感を感じることにもなります。

それを全部抱えて詰め込んだ時間は
言葉に仕切れないほど濃厚です。

そして、
その直後には
次を託された者に向けて
プレッシャーが押し寄せます。

納めを経験し、
モノゴトの誕生から最後までを経験した人は
改めて、その重みを感じるはずだからです。

 

プレッシャーの大きさの分だけ、
大きなものができると思っています。

だからこそ、
納めをしっかりやりきる
と言うことは非常に大事だと思うのです。

 

様々なものが納めを迎えるこの3月に
色んなモノゴトが次のステップに進むと思います。

次の時代も楽しみです。

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