【永遠の問い】目的なのか手段なのか

今、
自分や周りを鼓舞して
士気を高めようと
しているあなた。

何かを続けることも、
よりよくすることも、
難しいことです。

ここで意識してもらいたいのが、
何かを続けることも、
よりよくするというのも
全ては“手段”の一つだということです。

目的はもっと先にあるもので、
“そこ”が見えなくなりがちです。

手段になりがちな事柄

続けること

何か趣味や、
挑戦を続けることがあります。

続ける本来の意味は、
それができるように
なることであると思います。

しかし、
目的が、
続けることに
すり替わっていくことがあります。

“練習を毎日していればOK”

そんな感じのものです。

より良くすること

もっと良くしなくてはと、
部活で周りを鼓舞したり、
自分の趣味を突き詰めたりします。

より良くする作業がは
時間を無限に
吸ってしまう
行為でもあります。

物足りなさがあったら、
なんでこんな風になってしまったんだ?
と、瞑想してしまうと
そこから抜け出せなくなります。

そこに悩んでしまいます。

目的とは?

より良くすることに
こだわってしまうことを
例にあげて、
目的を考えてみます。

練習の雰囲気に悩むのがまさに
より良くすることで悩む
典型的な形です。

雰囲気を良くすることは、
あくまで質のいい時間を
過ごすための手段の1つ

質のいい時間ってのも、
練習効率を上げるための
手段の1つ

練習効率を上げるのも
少ない時間で結果を出すための
手段にすぎない

そして、結果ってのはなんなのか?
ここが一番重要だと思います。
それこそが目的ですから

手段が目的になっても良い

場合によっては
手段が目的になっても
良い場合がありあます。

それは長期的に見て、
そこを改善しなかればいけないことが
明らかになっている
場合に限ります。

それから、
トップが
本当の目的を
忘れていない時に限ります。

その場合は、
そういう経験を積むこと
継続して習慣化させること、

それに大きな意味がありますから。

つまり序盤と中盤に限ることで、
終盤には採用してはいけない
考え方だということです。

このご時世だからこその悩み

今コロナで、
集まれること自体に
大きな価値が
生まれつつあります。

今まで自粛して、
練習さえもできなかった
ものですから。

そうなってくると、
集まれていることへの感謝
当たり前じゃないという尊さ
いろんなことから、

今自分がここにいて
この瞬間を生きていること
そういうことに
価値を見出してしまいます。

目的が思い出作りならいいです。

どんな形であれ、
記憶に残ればいいので。

ここでよく考えてみて欲しいのが、
何のために、
今、わざわざ苦労して
集まっているのか?
ということです。

なぜ、
みんなでルールを作ったりしながら、
社会的制約を受けながら、

集まっているのか。

その目的が、
ただみんなで楽しく集まること
ではないはずです。

『練習が再開できてよかったね』
という
周りの声に甘えている
場合ではないのです。

同情されたくて
続けているわけではなくて
周りの人にこそ
もっと伝わってほしいことが
他にあるはずなので。

最後に

挑戦できる環境が
整っていることには
感謝をしなければいけません。

ありがということです。

ただし、
一番大切なのは、
挑戦しようと思った初心です。

なぜこんなに
苦労してまで続けているのか。

あなたが続ける理由はなんですか。

そこを思い返すことで、

『いる』だけで、
『ある』だけで、
特別だと思ってしまう
そんな魔法から
覚めることができます。

せっかくもらったチャンスです
このタイミングで
この挑戦がある。

この特別な環境で成し遂げるために
今一度考えてみて欲しいです。

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