【色々失ってきた大人へ】ときめきを大切にすべき理由

自分を生きる




日本人がいう”大人になる”というのは
いろんな経験を積むということであり
合理的な現実解を察するようになり
自分に蓋をするということだ
と言えないでしょうか。

今まで夢中だったものに
蓋をしてしまった。
そんな経験がある人ほど
その尊さに気づけると思います。

同じ感動には二度と出会えないのです

ときめきから離れてしまう理由

あなたには
心から”夢中”だ
と言えるものがありますか?

今はないなーという人にも
心から楽しくて、夢中で、
時間があっという間に過ぎてしまった
そんな経験があったはずです。

夢中だった時間は
心おどる瞬間で溢れていたと思います

なぜ、そんな幸福な時間から
距離を置いてしまったのでしょうか

いつまでやってるの?と言われるから

大人になった人は
何か夢中になっている人のことを
なぜか蔑みがちです。

「まだやってる笑」

そんな風に思いがちです。

年を重ねるにつれて
そういう人が増えていくので
夢中になっている人間自体が
少数派になっていくのです

少数派になると
自分が間違っているような
感覚に苛まれます。

そう感じてしまうと
終わるタイミングを
探し始めてしまうのです

“卒業しなきゃ”と思うから

はまっているものがあったとしても
なぜか”いつかはやめなきゃ”
と考えてしまうものです

やめなきゃいけない理由なんてないと思いますが
たいていの人が頭の片隅で
やめ時を探ってしまうのです

年を重ねると
ちょうどいい節目に幾度となく出会いますから
ちょうどよくやめてしまうのです。

ときめきを大切にすべき理由

感動したり、
夢中になったりできるものを
手放すとどこか寂しい気持ちになります。

今、心おどることが少ないな。
と感じている人は
その時間がいかに有意義で幸せだったのか
それを痛感していると思います。

心が躍るものがない人生はどこか物足りなく
もう一度何かに出会おうとしても
そうそう簡単に出会えるわけでもないのです

希少価値があるから

そもそも、
心が躍る夢中になれるもの
というものに
人生でどれほど出会えるのでしょうか

振り返ってみると
“いろいろハマってきたなー”
と思い返せます。

その中で、
“飽きてやめた”でも
“時期が来たからやめた”でもなく
“自分の意思でやめた”
というものは
そんなにないのではないでしょうか?

そういうものは
自分の性格に合っているだけでなくて
タイミングや仲間に
恵まれていた可能性が高いです

すなわち、
いろんな偶然が積み重なって
出会えたものだった
ということです

ですから、
今から再び夢中になれるものに出会いに行こうとしても
なかなか難しいのです

充実感をくれるから

夢中になっている時間は
「このために生きている」
と大げさでなく言えてしまいます

それほど存在感があるのです

それを失った後
それを埋めるものに出会おうと思っても
そんな簡単には出会えません。

だからこそ
出会えた心躍るものを
ときめける瞬間を
大事にするべきだと思うのです。

最後に

今現在
“これこそオレの人生そのものだ”
といえるものに出会えている人は
それを本当に大事にしてほしいです。

本当に二度と出会えない可能性すらあります。

年を重ねると
どうしても大人になってしまい、
夢中になっていることに
罪悪感を感じる時もあるかもしれませんが
その気持ちから守り抜いてほしいです。

 

それから、
今、特に夢中になれるものがない人は
なんとか見つけたいところです。

今までに
手放したものの
大切さに気づいていると思いますから。

大人になってしまって
時間を湯水のように費やす
勇気がなくなった今であったとしても
その中で出会いたいです。

きっときっかけはあります。
“好感を持ちがちなジャンル”や
“毎回目をひくもの”や
“ずっと前から気になっているもの”
などです

今こそ”ときめき”に従ってほしいのです。

「現実的に、、、」
の壁を超えた先に
充実感があるはずですから。

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