【言い訳いいわけ?】努力を言い訳にすべきでない理由

自分を生きる

何か自分が頑張っているものがあって
それを言い訳にして
「できない」
というのはいささか情けないのではないでしょうか

犠牲にされた側の立場に立つと
素直に応援できなくなってしまいます

やって当然の事や
あなたがやるべきことを
ちゃんとやってこそ
その頑張りが輝くのです




努力を言い訳にするべきでない理由

努力の価値が霞んでしまうから

“何かに打ち込んでいたが故に
留年しました”
とか、
“外で頑張っているので
家では何もやりません”
とか

自分では正当化に成功している事柄が
第三者から見て
同様に”仕方ない認定”してもらえるとは限りません。

むしろ、
冷静に客観的に判断されてしまいます。

せっかく努力して
成果を出したのに
関係のないところで
批判されるのは気持ちよくないです

仲間に申し訳ないから

一緒に頑張って成果を出してきた仲間が
他の日常の部分でも頑張っている中で
あなただけが
だらしなく生活していたとします

そうすると
そこだけが広告塔のように機能してしまい

このチームはすごいけど
日常生活がだらしない

この仕事はかっこいいけど
休めないから体を壊す

この活動は魅力的だが
所属すると単位を落とす

そんな偏った偏見を持たれてしまいます

それは少数でも
数人がそうだとしたら
世間から見たらそういう集まりだ
という認定をされてしまうものです

同じように頑張っている人たちに
申し訳ないです。

何よりダサいから

自分の仕事が一番辛いと思う奴にはならない

ベリーベリーストロングの一節です

みんなそれぞれ
形は違えど苦労して
同じように頑張っている
ということを
忘れてしまうものです

ですから
「なんでこんなに疲れているのに
俺がこれをやらなきゃいけないのか」
と文句を言いたくなってしまう
その気持ちもわかります。

しかし、
周りもそれを認めてくれるような
そんな関係ができてくると
“これをやっている自分は偉い”
“自分は特別なのだ”
という錯覚が生じてしまいます。
これは最終的に、
“これをやっていれば〇〇をしなくてもいい”
のように
頑張ってきたものを
いつしか言い訳に使うようになってしまいます

そうなってくると
ますます努力の価値が卑しくなっていき
輝かしい成果もくすんでしまうのです

最後に

これを本気でやりたいから
一年休学した。
もしくは学校を中退した。
そんな活動的な人もいます

彼らは
言い訳になってしまう他の要素を
全部削ぎ落として
必要な部分にだけ時間をつぎ込む覚悟を決め

そういう人たちなのだ
と言えます。

みんながみんな
そんな風に生きれるわけではありません

多くの人は、
何か一つに絞りきることができないので
それなりの温度感で
全てをやりくりしていく必要があります。

みんな同じように悩みながら
やりたいことに時間を割いていますから
やりたいことに優劣なんてないです。

同じように時間を生み出して
やりたいことに時間を注いでいる
というように見れば
全ては平等なのです。

その時間をあなたが
何かを成し遂げるための
勉強や自己啓発に使っていたとしても
それはあなたの中で完結する話です

一度外から見れば
みんな同じ価値観の時間を過ごしている
という事実を忘れてはいけないです。

やりたくてやっている

この気持ちだけは忘れずにいたいです。

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