【敵を作らない生き方】罪を憎んで人を憎まずという生き方

自分を生きる




気に食わないことがあった時
「この人は嫌い」
というのではなく
「この考え方は合わない」
と捉えることができると
言葉尻が優しくなる
ということです。

昔から
罪を憎んで人を憎まず
という考え方がありますが

同様に、
思考を憎んでも人は憎まない
と考えられると
無駄に人を攻撃しなくて済むので
穏やかになります

罪を憎んで人を憎まず

罪を憎んでも
罪を犯したその人までは
憎んではいけない
という言葉です

罪は、
その人の環境や背景
境遇も踏まえて
幾つもの要因が絡み合った結果である
と考えることができるかです。

思考を憎んでも人を憎まずとは

文字通り、
考え方に物申すことは良しとしても
人まで憎んではいけない
ということです。

思考の先に行動があり
行動の先には結果があり
その結果が罪になる場合もあるかもしれない
ということで
罪を憎んで人を憎まず
の言い換えだと思っていただければいいです。

人を憎まない生き方とは

例えば、
ゴミを平気で路上に捨てる人がいたとします

そういう人を見て
「お前はマナーの無い不快な人間だ」
と人を否定すると
凄くとげのある言い方になります

それに対して、
「あの人はどうしてゴミを道に捨ててしまうのだろうか
どんな価値観の元、そうなってしまうのであろうか」
と考えるようにすると、
トゲのない丸めな思考になります。

 

こういうことは
日常に山ほどあると思います

何かあるごとに
「あんたってこういう人だよね」
とすぐに人に対してモノ言う人の言葉は
常に嫌味っぽく、
刺々しく、
攻撃的です。

攻撃的な言葉の目的は
大体の場合
自分がすっきりしたいだけです。

その人を責め立てることで、
イライラを発散しているにすぎないからです

そもそも、
考え方も行動も
その人の生きてきた環境・背景が全てです

だとしたら、
今はその人が生きてきた時間を尊重しながら
これからは”この環境でいきていくんだよ”
と考え方に対して
モノ申すようにすることが大事なのではないか
と考えます。

最後に

基本的には
人が人を憎む代わりに
法があるという考え方です

憎んでもどうしようもないから
法に守ってもらうしかない

法に守ってもらうまでもない出来事
に関しては
しっかり
“考え方”に対して物を申すことを
強く推奨します。

“疲れて家事ができない”

という人に対して

「この人は本当にひとの為に生きてくれない
ろくでもない人だ」

と言い切るのではなくて
どうして家事を手伝ってくれないのか
と、その考え方について踏み込むことが必要だと考えます。

そうやって価値観をすり合わせることが
平和な世界の入り口だと思っています。

穏やかにやっていきたいところです。

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