【教訓】要確認と言えるものについて

自分を生きる




“やめていい”
“無視していい”
“やらなくていい”

そう言われたもの
もしくは自分でそう判断したもの
そういったものがある場合

それは全力で確認するべきだと言えます。

確認すべき理由

やり直しはダメージがでかい

「それやめていいよ」
と言われたものがあったとして
素直にやめたとします。

もしそれが
本当はやめてはいけないものだった場合
もう一度やり直す必要があります。

ちょうど中止した
その瞬間から再開できればいいですが、
期間が空けば、
そのままになっている可能性も下がりますし

そもそも
やり方さえも忘れてしまっている場合が多いですから
結局1からやり直す可能性もあります。

一度やってきたものが
またゼロに戻ってしまうわけです。

やめ時、終わりどきほど慎重に
ならなければいけないのです。

再検討はダメージがでかい

「それは無視していいよ」
と言われて
素直に無視して進めていたとします。

もしそれが
本当はちゃんと
考慮しなければいけないものだった場合
あなたの理屈は唐突に破綻することになります。

「上司の考えは無視して進めていいよ」
と言われた通りに、
上司の考えを入れずに資料作成等を進めると
「無視していい」と言われていた
まさに、その人の一言で
主張が180度変わることもありうるのです。

 

理系であれば
数式を想像して欲しいです。

複雑な関係式も
ある係数が限りなくゼロに近いとか
ある項の寄与率が大きいとか
しっかり整理できれば
無視できる項がわかります。

そうすれば、
より式を簡単にして検討を進められるわけです

しかし、
これが無視できないことに気づいた時、
より複雑な形で、
複雑な式を解いていく必要が出てくるのです。

“無視できるかどうか”

これを見誤った時のダメージは大きいです。

やらなきゃいけないはダメージがでかい

「やらなくていいよ」
が、結局
「やらなきゃいけない」
になった時、
唐突にその対応に追われることになります。

急に優先順位が高くなって
自分の時間を奪うものは
やはり罪深いです。

要確認と言う

「やめていいよ」
「無視していいよ」
「やらなくていいよ」

そう言われた時に

「ちょっと確認させてもらっていいですか?」

そういうことが非常に重要なのです。

そして、
特に自分自身で判断する時は、
「本当にやめていいのか?」
「本当に無視してしまっていいのか?」
「本当にやらなくていいのか?」
そうやって念入りに自問自答をするべきだと思うのです。

一人で考えている時は
やめても良さそうなもの
無視して良さそうなもの
やらなくいいのではないかというもの
そういったものを見つけた瞬間
青天の霹靂のような衝撃を受けるものです。

素晴らしい思いつきが舞い降りてきた
とさえ思ってしまいます。

そんな時ほど立ち止まって、
本当にその決断を下していいのか
そこだけは冷静に考えたいのです。

最後に

人は失うもことに
かなり大きな不安を感じます。

その一方で、
やめた方が楽になりそうなものについては
快く受け入れるものです。
「やっとなくなった」

とさえ思ってしまいます

失うものに対して
どこまでも慎重になれる生き物であるはずなのに
気持ち一つでいくらでも
軽率に慣れてしまう恐ろしを感じます。

必要性があったから
考え出された訳ですから、

なくなる瞬間には
どんな些細なものだったとしても
配慮するべきだと言えます。

“やめる”
“なくす”
“無視する”

そんな決断をする際には
「やっぱり、、、」がないように
その理由もセットで押さえておくようにしたいです。

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