【直感と言語化】第六感を信じる生き方

直感や第六感が言うことは基本的に正しい。

初対面の人の好み。
何かを決めるときの不安。
うまく行きそうか行かなそうか。

何かを思いついた閃きも、
嫌な予感するなーって
足取りを重くする感覚も

基本的に信じていいと思います。

なぜなら、それは“経験則”と、
生まれながらに持つ
“遺伝子レベルの好き嫌い”

“相乗効果で導き出す結論”だから。

つまり”第六感”は

“自分に特化した世界最速の検索エンジン”

こう言い切れるのではないのでしょうか。

とりあえずググる時代

世の中にAIが生まれて、
ビッグデータという分野ができて、
大概の判断は検索エンジンも
同様に出してくれる時代になりました。

その”判断”ないし”おすすめ”が、
”任意のデータを用いた汎用的な内容”
であることを忘れてはいけません。

何かに迷った時に、
選び方とかおすすめとか
調べますよね。

“〇〇,××,どっち”

とかで調べますよね。
僕も調べます。

ただし、その提案は基本的に、
全人類の統計的な答えであったり、
情報操作ずみの内容であったり
するわけです。

万人受けな内容です。

占いで、「最近やなことありましたよね、、」

みたいな、ざっくりした言葉で
確信掴んでこようとするあれと同じです。

あなたのための結論ではなく、
“だいたいみんなこうでしょ?”
って内容だ。

ということです。

自分だけの検索エンジン

それに比べて”第六感”は、
あなたが歩んできた経験そのもの。

あなたの経験だけで
構築された検索エンジン。

しかも何万件という
検索結果を提示するわけではなくて、
一個だけを選び出してくれるから
なおさらすごい。

第六感や直感が優れているのは

頭の中では忘れてしまっているかもしれないけれど脳はしっかり記憶している。

そんな、自分の経験の集合体から
脊髄反射の速度で
決断してくれるところです。

もともと
危険から逃れるために
発達した
生き物の仕組みを、

人間は、
“好き嫌いを区別するため”に、
贅沢に使っていると言えませんか?

言語化するということ

だからこそ、どうしてそう思ったの?

と聞かれた時に
直感ってやつを、
”言葉に直す”ことが難しくて
人に伝えられなかったりします。

直感での判断を
そのまま人に伝えても伝わりません。

これは僕のよくやる事です。

とりあえず好き嫌いを伝えてしまう。
ないしは、顔に出てしまうから、
人を不快にさせてしまいます。

嫌なものは嫌だし、
うまくいかない気がするのに
乗り気な反応するのも
如何なものかと思うんです。

だとしても、誰かと生きていく以上、
そこは最低限のマナーなのかもしれません。

だからこそ、第六感や直感を言語化して、
“自分はこう考えてこう判断しがちだ”
と意識しておくと良いのかもしれません。

最後に

直感は往々にして、
“やったほうがよさそうだけど面倒くさい”

っていう結論を出してくるときもあります。
しかも、かなりの頻度で。

これが厄介です。
これは自分を守るためとはいえ、
自分のためにはならない結果でもあります。

自分がなぜこんなに乗り気じゃないのか。
そこを言語化して
腹落ちさせることができれば
自分を完璧に乗りこなしていると
言えるのかもしれません。

コメント

  1. […] 直感では、やるべきだと言うんです。 この直感は当たります。 (←直感の話) […]

  2. […] なんとなくも立派な根拠になります。 →第六感の話 […]

  3. […] →言語化とビジュアル化の話 […]

  4. […] 直感は信じていい。 このアクションが身を結んだように 変えたいと思って撮っている行動は 大概いい結果につながるのだ。 そう思えます。 ←第六感の話 […]

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